未亡人で病気持ちでもおひとりさまを楽しく生きる!

はじめまして(^^♪ owl(アウル)です

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フクロウとしての私(owl):イラスト:とねむにかさん

2022年、1月2日、今日からブログを書き始めます。owl(アウル)です。
63歳、一応女性、おばあさんの年齢ですが、孫はまだいません。
1985年に結婚した最愛の夫は2001年に他界し未亡人歴20年


その前年、2000年11月には子宮頚部腺がんⅡb期広汎子宮全摘出術の後抗がん剤3クールしました。私のがん闘病の翌年夫が急逝したのです。


当時、1人息子は12歳、本来なら反抗期真っ盛りの歳でした。その後、少し仕事をやってみるも、風邪が長引き微熱が出始め、自分を責めうつ病に。


そのころ息子は父親譲りのパソコンの才能を発揮してくれ、2002年、HPビルダーで私のHPを作ってくれました。「お母さん、書いたら発散になるよ」という言葉も一緒に。本人は記憶にないらしい。

あまりに落ち込む私を見かねて、自分ができる精一杯のことをしてくれたのだと思う。そのお陰で、HPを通じて当時、未亡人やがん経験者とオフ会もできる仲間ができました。

現在は時は過ぎ、皆さんそれぞれ前向きに人生を送られていることと思います。私のようにがんになって、翌年夫を亡くすという方はさすがになく、皆さん未亡人でもご自分はお元気、がんになられてもご主人はおられました。

あれから20年近くが過ぎ、過ぎてみれば早いこと、現在はおばあさんの歳になりました。当時の皆さんはお孫さんのいる明るい生活の方が多いのではないかと思います。今もメールやLINEで連絡したり、時には電話でたまに話す方もいます。


このブログも昨日、2022年元旦に息子がセッティングしてくれたもの。独身のせいか、まだ母親にも優しい息子です。

2005年当時、うつ病は治ったものの、HPを続けながら、夫の労災不認定の1回だけの不服申し立ての準備や息子の大学進学のために東京の大学見学など奔走していました。

そしたら、無理がたたって、子宮がん後遺症の下肢リンパ浮腫を発症。「予防に優る治療なし」という一生治らない病気になりました。2005年夏のことです。

それから17年起立時は弾性ストッキング着用という辛い日常に。最近、体力低下か筋力低下、はたまた栄養失調?のせいか、ちょくちょく蜂窩織炎(ほうかしきえん)を起こし、高熱と下肢、腹部赤発で1週間寝込むことが多くなりました。QOLはガタ落ちです。

息子は高校、大学と順調に進学してくれ、今はもう30歳も超えたおじさんになりましたが、見た目は学生風。よく言えば若く見える、悪く言えば年齢相応の風格がないってとこです。

2014年に就職し、家を出て、私は1人暮らしになりました。やはり1人暮らしになってからか、後遺症のリンパ浮腫から先ほど書いた、蜂窩織炎を起こす頻度が上がり、そういう時は1人暮らしの不都合を感じます。

が、元気な時はそれなりに1人の自由を謳歌し、気ままに時間を自分のことに使えるようになりました。夫が亡くなり、息子も家を出て、淋しさがないと言ったら嘘になりますが、1人の自由を満喫したいと思う余裕も出てきました。幸福感もあります。

息子は今は公務員をしていますが、まだ家庭を持つ意欲がないのが私には淋しいところ。同じ県内に住んでいますので、時折帰省しますが、その時のため食事の作り置きをするのが楽しみになってます。縁はいつあるかわからないものですが、お嫁さん(伴侶)を見てみたいのが願望

そんなこんなで長くなりました。自己管理能力がなかったせいか、40歳過ぎてからは波乱万丈の日々でした。が、なんとか最近はやや穏やかなスローライフを楽しめるまで回復いたしました。

残りの日々のほうが明らかに短くなった昨今、おひとりさまの暮らし方私が経験してきたことなどを書き残し、それがネットの先の誰かのお役に立てばと思いブログ開設しました。

苦しかった経験談や、今の出来事、未来の夢など書いていくつもりです。同じ境遇の方やまた、若い方の人生の応援になることが書ければ幸いです。

お役に立ちたい気持ちはいっぱいあるのですが、書けるかどうか、頑張りたいと思っています。よろしくお願いいたします。                           

owl(アウル)

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