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母の葬儀 まるで西行の「花の下で春死なん その如月の望月のころ」

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5日に他界した母の通夜・葬儀が、妹夫婦の仕切りで7日、8日に行われました。

1日空けたのは、妹夫婦も疲れていたからだと思われます。

ほんの4人だけの小さな小さな家族葬でした。実母、享年90歳。

90歳だった実母の小さな小さな家族葬

息子が帰宅したのが、6日の夕方でした。

翌日7日の通夜には、妹と息子だけ。私は翌日の葬儀に備えて体調を整える日でした。

連日の移動・遠出が難しい身体になり、全く役に立たない自分に情けなさを感じます。

遠出と言っても地下鉄、電車、徒歩と1時間半くらいなのですが・・。

父の葬儀は2014年8月でしたから、まだ兄弟・親戚も出席してくれました。

コロナでもなかったし、息子も救急部の研修時の息抜きになったように、通夜、葬儀にも参列。

9年近い歳月が過ぎ、父母の兄弟も亡くなったり、施設にいたりで、出席は不可能なことに。

コロナもあるので、妹夫婦と息子と私の4人の小さな葬儀、妹夫婦の判断はごくごく当然のものでした。

ただ、親戚には一切知らせず、多分四十九日が終わった辺りに、一切の香典・ご供物も控える旨のお知らせをするようです。

8日(昨日)午前、お坊さんの読経と共に、4人だけ出席の葬儀は始まり、初七日法要まで終える段取り

喪主はすべてを取り仕切ってくれた妹です

初七日法要まで終えて、火葬場へ向かいました。2時間弱で母はお骨になっていました。

4人で骨壺にお骨を拾いました。股関節骨折時に入れた金属のボルトが焼け残っていたのが印象的。

火葬が終わったら、その足で母のお骨を父の眠るお寺まで納骨に行ってくれました

息子と私は、火葬場までで、最寄りの電車駅まで送ってもらい、妹夫婦と別れました。

四十九日の日取りまで決めて、妹の旦那さまからSMSで連絡がありました。

ものすごい早さ「超特急」での葬儀から納骨でした

母の遺影だけは私が預かりました。猫を飼っているので、置けないからと。

まあ、すべてを妹夫婦に任せている私は、彼らの合理的なやり方に圧倒されていました。

何度も手間をかけたくはないものですからね。

遺影は中々みつからない中、8年前の82歳の頃の写真を加工に加工して作っていただいたのだとか。

元写真を見て笑いました。何故かって? 

ブルーに近い色のサングラスをかけた母の顔を綺麗に普通の眼鏡の「優しいおばあちゃん」像に激変させてくれていたから!

眩しかったのかもしれませんが、ブルーの眼鏡なんてヤ○ザの姐さんみたいで吹き出しました。

首から下の服も、実際の母の服ではない誰か他のおばあちゃんの服になっていました(笑)

うちに来てくれる時は絶対にしてこなかった、オシャレと思っていた眼鏡だったみたいです。

自由な時は、派手な服を着て、目立つようにして動いていた様子がわかりました。

母は、私たち娘にはお金のないふりをして、自分のためにはお金を惜しみなく使っていた模様でした。

入れ歯、眼鏡などもきっと高かったのでしょう。服も大量に箪笥やダンボールにあったみたいです。

それで「ストレス解消」をしていたのでしょう。そんな生き方しかできなかった母でした。

ミニマリストにはならなくても、少ないもので暮らせるほうが気持ちがいいなと改めて考えさせられました。

やはり買い過ぎはダメですね、欲望も適度にという教えをもらいました

願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ 

もう少し永らえて、夏ころは危ないかと思っていたら、意外にも季節のいい春に逝った母。

そこだけは、子ども孝行であってくれました。

まるであの西行の「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の望月のころ」の歌そのまんまの時期でした。

母の逝った5日は満月の1日前、こちらは葉桜になりかけでしたが、まだピンクに桜がポツポツ見える時期。

多分、母はこの歌も知らないままだったと思いますが、西行法師が願った「日本人の理想的な死の時期」を選びました。

これには「やられたな」と思いました。

実際は如月は陰暦の2月ですが。その満月の頃といったら2月15日、お釈迦様が入滅した日を指すようです。

今の暦では3月後半、桜の満開の時期ですね。温暖化でだんだん早くなっていますが。

そして、葬儀の昨日8日は「お釈迦様の誕生日」でもあったのです。

全く宗教に関心のなかった母が、なんとも仏教とのご縁のある日が記念日になっていることに驚いています。

昨年死別した、マンションの前管理人のTさんの命日も4月3日。

死期は選べません。

私もそうですが、日本人なら花の下にて春に逝きたいと願う人は多いのではないでしょうか。

素敵な時期に、苦しむこともなく穏やかに「老衰」という死に方ができた母の最期は幸せだったのだと思います。

私たち姉妹も息子も、涙など一切ない、むしろ明るいお別れでした。

妹夫婦との再会は明日書きます。

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