未亡人で病気持ちでもおひとりさまを楽しく生きる!

日曜日、関西の未亡人友から「ランチしてます」のLINEがきた

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日曜日に関西の未亡人友から写真入りのLINEが届きました。

20年前に2年間だけ開設していた私のHPの掲示板で知り合った未亡人です。

オフ会を開いたりするような仲間になって、関西は6~7人の会が出来上がっていたそうです。

その中の2人とは、11年前に私が最後の1人旅をした時に、名古屋で1人、京都で2人の未亡人に会いました。

まだまだ元気でカートを引いて1人旅ができていた(それでも疲れた)4月下旬でした。

その京都の2人ともう1人、オフ会のメンバーで日曜日は久しぶりにランチをしたそうです。

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正午に来ていたLINEに気がついたのがもう遅くて、それに蜂窩織炎は起こしているし・・

元気で早く気がついていれば、LINE動画ででも3人のランチ会に参加したかったくらいでした。

関西の3人の写真のバックは綺麗な青空で、散策や友人との楽しいひと時を過ごすには抜群の日和でした。

皆さんが仰ったらしいのは、「こうやって未亡人同士集まれるのも、アウルさんのHPのお陰だね」と。

とっても嬉しくなりました!

HPを運営していたのは、ほんの2年です。

その掲示板で繋がれた未亡人友が関東にも関西にも、九州にもできてオフ会ができるまでの仲になったのでした。

私も関東オフ会で東京に行ったことが1回だけあります。

九州オフ会は3人でしたが、今はもうそれぞれ忙しく、卒業になりました。

10年ひと昔がいまや5年ひと昔、それが20年ですからふた昔、歳月は過ぎました。

小さいお子さんを抱えた未亡人もいまや、旅をしながらリモートで仕事をする方もいれば、お孫さんに恵まれて幸せな未亡人も。

それでも、遺族年金は65歳で中高齢寡婦加算がなくなりますから、皆さんお仕事を続けられている方がほとんどです。

私だけが病身でかつ未亡人という「ないないづくし」のレアケース。

今も蜂窩織炎に苦しみ、QOLはすこぶる悪いし、1人息子は結婚もしていない。

あまり変化のないのは私くらいになってしまいました。

あのHPの縁の下の力持ちは息子です。息子は目立たないところで活躍する影の立役者なんです。

あのHPは息子の提案で実行、運営できました。

このブログも独自ドメインをとって、開設できたのも息子に私が頼んだからです。

このブログは路線がハッキリしていないし、自分のシニアになってからの日記になればと今は思っています。

夫を亡くしてから、昔も今も、息子には感謝なんです。

その息子が今日(火曜日)と明日は博多(福岡)出張で来福していますが、会えません。

まだ蜂窩織炎がくすぶっていて、弾性ストッキングを履けないからです。

蜂窩織炎にならなければ、うちに泊まるか、私が駅まで出かけて行き、今夜は息子と外食の予定でした。

私はこの秋に東京に行きたいと考えていましたが、息子に「来るな」と言われたのは当たり前です。

こんな秋の行楽日和に、最悪の蜂窩織炎を起こして寝込んでいるのですから・・

私には、遠くにはたくさんの未亡人友がいます。

もう会えることはないとしても、同じ時期に未亡人になり、悲しみ、苦しみを分かち合えた大切な友達です。

今ではずいぶん多くの方とLINEで繋がれています。有り難いことです。

今も若い未亡人は生れているでしょう。

今はきっとX(ツイッター)などで、繋がりができているのではないかと想像します。

同じ時期に同じ経験をして、お互いに慰めあって、励まし合ってきたら、友情も芽生えます。

「死別」とは人生が激変するほどの大きな衝撃的な出来事ですから。

必ず会いたくなります。オフ会を開くことも今もあっているかもしれません。

そんなことを想像しながら、日曜日の関西の3人の「オフ会=ランチ会」の知らせには喜びました。

今も繋がりが切れることなく続いているんだ、息子と私が作った「架け橋」があったのでした。

拙い日記をお読みいただき有り難うございます。いつも感謝していますm(__)m

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