東海の未亡人友Dさんからは「寒中お見舞い」のハガキももらっていた。
数日前返信の絵ハガキを投函したのだけど、まだ届いていない模様。
そこへDさんからLINEも届いた。
おばさんたちのLINEは長く、メールになっている笑笑
やはり元日の地震のこと、被災地の苦難に胸が痛む、そんな中どんなお正月でしたか?と。
彼女は私より1歳年上、一昨年退職して、娘さんのお孫さんのために横浜まで援助に行ったりしている。
私はどんなお正月もなかったことを伝え、要支援1が認められたこと、足のLVAの手術を考えていることを書いた。
彼女も旦那さんを亡くしたのが私と同じ年の1か月後の7月下旬とほぼ同じ時期に未亡人に、22年・・
掲示板で知り合った頃は、1人だけひと際暗く、自分のことばかり一方的に書く方で、他の人と交わろうとしなかったDさん。
去年の私が寝込んでいた11月下旬に電話で、ことの真相を知ってやっとうなづけた。
旦那さんの死因を心筋梗塞で突然死としていた彼女の旦那さんの本当の死因は「自死」だった。
22年も隠し通してきたのには、Dさんならではの理由があった。
旦那さんは職場の若い女性と不倫しており、それで悩み消化器系で入院もしていたそう。
その時に、病院へ持って行く旦那さんのガラケーにメールが入り、つい見てしまったそうなのだ。
それが、お相手の女性からで、入院先の病室で少し問い詰めたらしい。
Dさんのショックも相当大きかった。
が、旦那さんは退院後もそのことを悩み苦しんでおられたらしい。
そして、自責の念からか、マンションからほど近い場所の車の中で睡眠薬の多量摂取での自死・・
2人のお子さんたちにも言わずに隠してきたが、高2だった長男さんは気がついていたそうだ。
下の女の子はまだ当時小学1年生で、言わないままだった。
その娘さんがコロナ禍に結婚されて、今は年子のお子さんを育てるママになられた。
それで、彼女も安心して、娘さんにお父さんのことを打ち明けたんだそう。
娘さんが、お父さんが不倫をしていたと知ったら、男性嫌いになり結婚もしないのが心配で言えなかったとDさん。
そして、スッキリして、私にも話すことができたと言った昨年11月。
そう言えば、娘さんが結婚されてからのDさんは、退職もあり、以前とは別人のように明るくなられた。
今回のメール(LINE)のやり取りで、
私が公的支援を要請したこと、年末年始にマンションの友に買い物依頼をしたこと、
足の手術を考えていること、は「自立」しているのだと言ってくれた。
そうかな? 人さまのお手を煩わせることが依存ではなく自立?
「私は息子に伴侶が見つかったら、もう自分はいつどうなってもいいと思っているの。それまでは居てやらないとという責任感だけなの」と書いた。
Dさんは「依頼したり頼ったりする人を持っていて、連絡できるというのは『自立』だと思う」と。
「誰でもできていた様々なことが不自由になります」
「以前、上皇后美智子さまが仰っていたこと、〈これまでできていたことができなくなるのは、それらの能力をお返ししていくこと〉のような内容でした」
「預かっていたチカラ、与えられていたチカラを返していく過程が老いなのかなって」
「時期や状況は人それぞれで比較することではなく、その時々で頼れるひとや場所を持っていることが『自立』なのではないかしら」とも。
そう言って、私を「自立」していると必死に励ましてくれたDさん。
なんと有り難い胸を打つ言葉。
Dさんは死別でも旦那さんの自死でどん底を味わい、娘さん小学生時から続けていた仕事でも辛い時期もあった。
その頃は、私はDさんを励ます役だった。
今は糖尿病の薬と緑内障の点眼をしながら、マイペースの暮らしを満喫されている。
韓流ドラマにハマっていたのは、私より前から。姉妹の長女で、不仲なのも同じ。
共通点も多い彼女、読書量が半端ない、言葉の使い手。
そうね、ここまでガタがきた私の身体。
だけど私は前向きなんだと、Dさんに諭された気がした。
人さまに頼ることも「自立」 そう思ったことは全くなかった。
しかし、彼女がそう言ってくれるので、私は「自立」しているのだと思うことにしよう。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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