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「リンパ浮腫とわたし」太田双美子さんの本を読んで

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少し前に意外に早く、太田さんの本が2冊送られてきた。昨日、読了。

1冊はMさんにあげるつもりが、Mさんも寄付して本が送られてくる。

元重度リンパ浮腫患者だった太田双美子さんの過酷な日々からの再起のお話し。

子宮頚がんの手術が1998年、リンパ浮腫発症が2000年5月と私より少し早い。

子宮頚がんの患者は、病気の前後に離婚する女性も多く、太田さんもその1人。

25歳で離婚し、33歳でリンパ浮腫を発症した時には、娘さんは11歳の小学生。

どうして、あそこまで足が浮腫みに浮腫むことになったのか?

そこからどうやって歩けるように、セルフケアができるようになったのか?

それがとても知りたかった。

あんなに浮腫みが酷くなったのは、経済的なことが一番の要因だった。

1人親で仕事をしていたが、度々起こす不調で仕事も辞めざるをえないことに。

当時のリンパ浮腫の知名度は今よりも全くなくて、

日本でも若干名の医師が寄り添ってくれていたような状況だったのだ。

そして、治療費、弾性ストッキング、包帯などの圧迫用品も全て自費だった!

これが太田さんを追い詰めた一番の原因だったことがわかった。

それからは大きくなった足を人に好奇の目でみられることになり、

絶望を感じた彼女は引きこもりに。それも6年間、長い

脚がこうなるのかと驚く写真

ベッドから落ちて、娘さんに見つけられそれからしか治療が受けられなかった。

私も49歳の時に入院したことのある「徳島リムズクリニック」の

小川佳宏院長の「大丈夫」という言葉に救われて治療が始まったようだ。

約半年の圧迫とドレナージでの治療で歩けるようになった太田さんは、

横浜に帰り、横浜国大の前川二郎教授に垂れ下がった皮膚の切除手術を受ける。

それを3回ほどやってある。

そして、徳島リムズクリニックでも何回も入院治療を受けておられる。

その甲斐あって、今の脚の状態にまで回復された。

この脚の変化とともに、頑なだった太田さんの心も解きほぐれ、

明るさを取り戻された。

そして、ドレナジストの第一人者佐藤佳代子先生の勧めもあり、

リンパ浮腫患者へ向けて、自分の体験を綴っておられたようだ。

それが、今回のクラウドファンディングの達成で本の出版まで漕ぎつけられた。

横浜の前川先生、徳島の小川先生、佐藤佳代子さんとの出会いが彼女を変えた!

日本の超一流の先生方と出会えて、絶望から希望を持てるようになられた。

太田さんの頑張り、生命力、精神力には頭を垂れるしかない。

ご家族や娘さんの存在もバックではかなり大きかったのではないか。

その間の治療費や、交通費などには言及がなかったが、

お母さんやご兄弟、大きくなられた娘さんの援助もあったのだと推測する。

人は人によって傷つけられたり、お金がないことで苦しむが、

やはり最後は人の温情と思いやりで助けられることもあるのだ。

太田さんの言葉「たしかに浮腫が小さくなったこともある。ただ、それ以上に

気の置けないリンパ浮腫仲間の輪が広がったことが大きかった」

これが生きていく上での、大きな活力になったことは間違いない。

いい結果になって、彼女が幸せを取り戻せたことは本当によかった。

仲間がいるって、病気の場合は本当に支えでもある。

そして、やはり離婚して1人親が病気になったら辛いことも思い知った。

死別の私も、1人親としてリンパ浮腫になって痛いほどわかる。

太田さんは、離婚はしたけど、娘さんに支えられて今は幸せだろう。

リンパ浮腫になる人は四半世紀経っても、そう減ってはいないようだ。

この前のリンパ浮腫外来のドレナジスト看護師さんは、

「リンパ浮腫患者さんは増えている」と言っていた。

国の医療費の爆上がりは確かに厳しいとは感じる。

が、リンパ浮腫になったら、がんで死ねないのにお金はかかり続ける。

弾性ストッキング代(1足23000円)は年間4足まで3割負担になった。

が、ドレナージは自費というのが、なかなか行けないとハードルが上がる。

そこをなんとか保険適応にお願いできないかと切に思うが、

国の財政が許さないだろう。

残念だが、リンパ浮腫の認知度がこの本でもう少しでも上がればと願うのみ。

拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m

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