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Mさん10月入院の知らせ 未亡人友への言葉は当然だと

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23日に胃のポリープの組織検査の結果を報告してくれたリンパ浮腫友Mさん。

結果は良性だったが、ポリープの場所が十二指腸に近く、

大きくなったら、食物が通過しにくくなると言われたそうだ。

胃のポリープ切除は出血を伴うので、入院でということに。

そして、昨年取り残していた大腸の小さなポリープもその後に

取ることになったそうだ。

入院は10月半ばからともう決まったらしい。

私も入院した大学病院でだ。Mさん宅からは歩いて10分。

電話の声は「良性」ということで、明るく大きかった。

83歳だけど、同じ歳の人と同じように接してしまうのだ。

「お姉さんだけど、同じ歳として接してごめんなさいね」と

私が言うと、「いやぁ、かえって嬉しいよ~」とMさん。

耳も遠くないし、生粋の「お1人さま」は朗らかでかつ逞しい。

連日の酷暑にMさんすらも毎日は外に出られないらしく、

午後から2時間ほどお互いのことをおしゃべりした。

私は一昨日聞いた、マンションの未亡人友が

肺の検査入院する話をした。

未亡人友は74歳だけど、少しというか割と耳が遠い。

気にして耳鼻科には通院しているが、よく聞き返される。

Mさんより9歳ほど年下だが、その未亡人友と話す時は疲れる。

何故かというと、大きな声で話さないといけないから。

シニアになってからの実年齢と現状はもう人それぞれだ。

Mさんのほうがとても若く感じる。好奇心も人一倍強い。

自分の病名、血液検査の項目も普通に言えるし、数値にも拘っている。

それは私と同じ感覚だから、話しも早いのだ。

LINEもお手のもの、スクショも送ってくれる。

一方、未亡人友はLINEしても必ず電話がかかってくる。

文字を打つのが面倒なのか?何を書いていいかわからないのか?

そして、一昨日の電話では「なんかよくわからないけど」という

言葉が口癖のように何回も何回も口から出た。

自分のことなのに、自分事として捉えられていない感じなのだ。

糖尿病の薬を飲みながら、甘いものを我慢できなかったり、

生協で納豆を取り忘れたと言うから、「持って行こうか?」と

言っても、「納豆は食べ飽きた」と言う始末。

入院に持って行くものを聞かれたので、「洗濯時の洗剤がいるから、

なかったら私の余ったものを使って」と言っても

洗濯は病院で頼むから持って行かない、と悉く拒否。

だから、一昨日は私もつい「糖よりタンパク質が大事ですよ!」とか

「乗り換えのきかない自分の身体だから、上手く乗りこなしましょう」

と年上の彼女に向かって言ってしまった。

しかも、大きな声で・・疲れたのだ。

それをMさんに愚痴ってしまったが、Mさんは

「アウルさんは間違っていないよ、言ってあげて当然よ」

と言ってくれた。そうだよね、間違ってはいないよね・・

いくら服薬しているからと言って、甘いものばかりを

食べていたんじゃ、糖尿病だって悪化していくに違いないもの。

努力をしていて、悪くなったのなら仕方ないけど、

好き勝手して悪くなりましたから何とかしてください

では、いい歳をしたシニアがおかしいではないだろうか。

でも、正論だけを言って、ちょっとした「揺らぎ」がないと

人は苦しくなるのもわかってはいるし、自分もそうだ。

だから、未亡人友には正論を言い過ぎたと反省していた。

よかった、Mさんは私が適切なアドバイスをしたと言ってくれた。

100歳近い作家の佐藤愛子さんがいつか仰っていたのは、

「補聴器は最高のものを使わないといけない。そこは

ケチってはいけない」ということだったが検索しても出てこない。

人間同士の意思疎通ができなくなってくると、とたんに

QOLが下がってしまうと思う。

補聴器の大事さを書いたページが見つかった→こちら

60歳も過ぎれば、もうメガネあり、補聴器あり、入れ歯あり、

何でもござれで生きていかないと、見てくれなんかより大事だよね。

そうMさんと言ったことだった。

未亡人友は26日から入院。病院食で早く良くなってほしいと願うのみ。

拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝ですm(__)m

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