未亡人で病気持ちでもおひとりさまを楽しく生きる!

夫の誕生日 毎年思い出す

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今日は亡夫の誕生日。

亡くなった人の歳は数えないほうがいい、前向きにとは

言われるが、私は毎年数えてきた。

後ろ向きなのかもしれないが、彼が生きていたら?を想像

することも悲しいけど、密かな手放しがたい時間だった。

夫婦になってわずか16年もしないうちに逝ってしまった夫。

その夫に支えられて、今も私は生きているからかも。

自分の力で逞しく我が今日を生きていないという負い目もある。

それに、私が先に大病をして多大な迷惑をかけてしまい、

申し訳なさで最近のほうが「ごめんなさい」と赦しを乞いたい。

夫とは合コンで知り合い(安易な出会い方、当時は普通だった)、

1年半くらいで結婚した。

背は高くはないが、男らしい筋肉質、痩せ型ではあった。

私は自分が痩せていたので、もっとガッチリした体格のいい

男性が好みだった。

しかし、なかなかそういう出会い、縁はなかった。

エンピツみたいに痩せた私のような女を気に入ってくれた夫を

私はありがたいと思って好きになった。

実家を出て、自分の居場所を作りたいという希望もあった。

当時の結婚の動機なんて、私にとっては軽いものだった。

結婚が人生を一番大きく左右するイベントという認識も持たず。

夫は手に職もない私を、専業主婦として受け入れてくれた。

そして、後にもずっと専業主婦でいることを強いられた。

人間、生きていたら考え方も変わるわけで、私は途中から

仕事もできる人間になっていたかった。

それを否定されたのだけは、今もちょっと悔しい思いはある。

でも、大病をしてしまい、どちらにせよ仕事にはつけなかったはず。

仕事をすることはあの頃も今もずっと変わらないまま実現できてない。

休日一緒に飲んだビール 今はお供え

話しは変わって、夫は無類のパソコン好き、それもアップル一択だった。

今のこのスマホの時代に彼が生きていてくれたら、どんな

感想を持つのか、どう行動しているか妄想してみる。

虚しさだけが迫ってくるが、仕方がない、頭に浮かぶのだ。

夫が亡くなったのはガラケーの黎明期だった。

ポケベルしか知らない夫が、あの通信機器大好きだった夫が、

ガラケーに出会っていたら、そしてスマホに出会っていたら、

そう考えながら毎年毎年過ごしてきた。

夫が生きていたら、67歳になっている今年。

生前も誕生日すら忙しくてお互いに祝ったこともなかった。

祝ったのは息子が産まれてから、息子の誕生日だけ。

ただ、毎年帰宅した夫に「今日は誕生日だね、おめでとう」とは言った。

誕生日を忘れたことは、自信を持って言えるが一度もないはず・・。

ちゃんとお祝いしてあげていたらよかったな、写真を残して。

夫は私の誕生日を覚えていなかったようでその言葉はなかった。

どうでもいいようで、どうでもよくはない誕生日。

健康でいたら、本当にそれだけで「おめでたい」のだ。

この歳になってわかる「誕生日」の重み。

未亡人になって23年、年季も入ってきた私。

数々の病気をしながらも生かされている今、夫に言いたいのは、

いつも「ごめんね、ありがとう」。

息子の中に夫はいるけど、上手く育てられなかったよ。

一緒に息子を育てたかった。

あれほど可愛がっていた息子を夫も育てたかったに違いない。

それが一番辛く苦しかった、今も苦しい悲しいこと。

LVAを受けたりするほど、脚が酷くなったことも伝えたい。

でも、なんとかまだ「こんな日もあるさ」と思いながら

生きている日も多いが、全ての希望を失ったわけではない。

これからも変わって行く世の中に対応していけるだろうか。

できるところまで頑張るから、まだそちらで見守っていてね。

笑顔が素敵で、優しかった、真面目な努力家だった夫。

23年前は雪原に2人取り残された感覚だったが、徐々に歳月が

感覚も変化させてくれた。悲しみもね・・

もうすでに、夫がいないことが当たり前の日々だけど、

いつも感謝しかないです。67歳の夫君へ。

拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m

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