1階のエントランス付近で、キッチンリフォームを一緒に考えたUさんに会った。
マンションの今の大規模修繕工事のことなどを話しながら、ふとUさんが
「あなた最近は優雅じゃない?」と言った。
【優雅】=私の中では、元気であちこち好きな時に出かけられて、お友達とランチに行ったり、趣味を満喫したり、旅行にも行ける人のことをそう思っていた。
調べると、「ゆったりとしていて、日常生活のわずらわしさをかんじさせないさま」を言うのだそう。
最初は耳を疑った。すぐに「なにが優雅ですか!毎日病院初め、同じような家事で終わって優雅とは正反対ですよ!優雅なのはUさんじゃないですか」と反論した。
逆にUさんは優雅だと思っていたのだ。
そのUさんにそう言われて、何か釈然としないままだった。
たまたま娘さんもそこに帰って来られていて、会話していたところだったので、娘さんも
「お母さん、優雅じゃない」と娘さんも認めるUさんなのである。
それから、自室へ戻って考えた。
私は普段は確かに仕事もしていない。遺族年金で暮らしている。
入院・手術の代金は預金から支払った。
金銭面では、今のところ贅沢はしていないから年金内の1人暮らしができている。
しかしながら、日ごろの実際の生活に目を向けてみると、カレンダーは病院受診から埋まる。
そして、生協の日、それまでに生協の1週間分の生鮮食品の注文書を書く。
当然自炊だから、日々お惣菜を作ったり野菜を切る時間が必要になる。
昨年3回連続で脚の炎症を起こしてから、睡眠も8時間も確保している。
マイペースを保てるのは、ゆったりで当てはまるのか?
が、勉強や趣味の時間もお金も、今のところ全く拠出できていない。
医療費と食費とマンションの積立金、光熱水費だけで精一杯なのだ。
そんな私のどこが「優雅」というんだろうか??!
そりゃぁ、夏は随分前に買ったリバティのタナローンの服を着る。
夏の暑さにこの弾性ストッキングでは、パンツなど履いていられない。
ストーンとしたお腹を締め付けないワンピースが機能的なのだ。
花柄がエレガントさを出してしまっているが、あの生地だったら花柄でなくても夏には着たい。
あれは、確かに見た目には「優雅」に見えるかもしれない。
しかし、あとの季節はごく普通のシャツにスカート、カットソーやトレーナー、セーターなど。
パンツは脚に熱を持ちそうで極寒でも履けないのだ。
そういう身体(脚)からの服装が、「優雅」に繋がっているのかなぁ。
ああ、なるほど!と思い当たることがあった!!
このマンションに引っ越してから3カ月目に夫が急逝した。
私は気の毒な、哀れな未亡人として、デビューしたのだ、23年前。
喪に服しているだろうから、誰からも暫くは声をかけられなかった。
あれから瞬く間に時は過ぎ行き、2024年の今、年季の入った未亡人として生かされている。
涙で枕を濡らす夜も多かったし、公園やお風呂でよく泣いていたことをUさんは知らない。
こんなリンパ浮腫を発症して弾性ストッキングを履く身体の苦しさもわかってもらえない。
Uさんは60代には3度もお友達とフランスの旅に出かけていて、フランス語検定も取っている。
漢詩や般若心経も書くし、絵手紙も近所の方とやってあった。
そんなUさんは後期高齢者になっても、旦那さまと娘さんとの3人暮らし。
寂しさを感じる時間などほとんどないのではないか。
尊敬するのは、76歳の今も家族3人分の食事を作っておられること。
手作りジャムを作ったり。私にはできない! 睡眠時間は何時間?
だからむしろ、1人の時間がほしいのだろうか。1人になりたいのだろうか。
そう、この23年という歳月が、「未亡人は1人で優雅だわね」という見え方に変えたのだ。
1人になったことのない人は、きっと1人になってみたいのだろう。
60歳過ぎたら、熟年離婚あり、旦那さんが邪魔になってくる年齢なのかもね。
でも何度も気持ちが沈んでいる時に、仲睦まじいご夫婦の風景を見せつけられもした。
夫はすでに私の元から去って久しいし、息子も職を得て出て行った。
好きで1人になったわけではない。
何でも1人でやらないといけない。ゴミ捨てに行くたび、そう思うのだ。
家族が揃っていたらどんなにか楽しいだろうと思う。
そして、健康な身体があったら、もう幸せとよばないで何と表現したらいいだろうか?!
人は「ないものねだり」をしちゃうんだよねぇ。
隣の芝生は青い、全くそうだ。
私が「優雅に見える」ようになったのは、歳月のなせる技だった。
悲しみに打ちひしがれていた40代から、「優雅」に見られるようになった60代後半。
まあ、悲惨なままよりは、当てはまらない言葉だけど「優雅」のほうがいいかもしれない。
そう思わせられた今日この頃ではある。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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