未亡人で病気持ちでもおひとりさまを楽しく生きる!

確率50% 死別

がんという病気も2人に1人がなる時代に、あえて21年前のowlの闘病記は一昨日書きました。


私は未亡人でもあります。


結婚して夫婦になれば、いつかは死別してどちらかが遺されます。

これも二分の一、確率ほぼ50%。稀にあることだが、交通事故などで夫婦共に亡くなるケースを除いては。

 遅かれ早かれ、結婚していれば必ず訪れる「死別」という現実。
(離婚は本人同士の同意、または協議なり、裁判なり、別れはあっても死別ではない)

私は結婚16年足らずで、43歳になったばかりで、同じ歳43歳の夫と死別しました。

私のがんの闘病を支え続けてくれ、家族というユニットの同志だった最愛の夫が、2001年半ば「くも膜下出血」であっけなく逝ってしまいました。

ほんの1年間の間に、私のがん発覚から夫の逝去まで・・・こんな確率50%のことが立て続けに起きる人生も稀有ではないだろうか。人生の「まさか!」でした。


「どうして、どうして?!私から大切なものばかりが奪われるのか?」誰か教えて!!そういう心境でした。

でも、原因は自分に、彼にあるのだと悟ったのは、後のことです。

「これからどうやって生きていけばいいのか、その指針も何も、健康すらない状態で・・」と涙も出ないとはこういうこと、ショックは計り知れなく大きかったのでした。

自分の健康のことは、もう頭から飛んでいました。今、何をすべきか、彼が私に託したものは「息子の成長」ではないか!それしかなかったのを今でも覚えています。

周りの色々な方の支えで、職場の現職だったため葬儀をあげました。

まだ抗がん剤の副作用で抜け落ちた髪の毛も生えそろわない時期、カツラをかぶって、参列していただいた方々、泣ける弔辞を読んでくださった4人の先輩方と同僚の方にお礼の挨拶をしました。

蒸し暑い、夏の始まりの頃でした。

不幸中の幸いがあったとすれば、生命保険会社のセールスレディーによって加入していた、定期付き終身死亡保険から保険金がおりたこと。

そんなに多くはなかったものの、仕事がまだできる身ではない私には当座は、息子と路頭に迷わないくらいの支えにはなりました。

また、多くはありませんが、公的には遺族年金が支給されます。これはサラリーマンの厚生遺族年金と、18歳未満の子を持つ寡婦に基礎遺族年金が出ます。

日本は寡婦にはそれなりのお守りがあることを知りました。

「お守り」として入っていた保険に当座は助けられました。やはり、生活していくには、人が生きるということはお金がいります。

もう一つの幸いは、当時は新築マンションだった家のローンがなくなって私名義になって住むところは確保されたこと。戸建ては売って、マンションの資金に充てていました。

悲しむ間もなく、中学1年生になったばかりの息子のことが気になり始めました。

男の子なのに、これから思春期に入る直前で父親の存在がなくなることは、彼にどういう影響が出るのか。

私が1人で育てていけるのだろうか?男の子を育てることに関しては、全く自信がありませんでした。

そう考えていたら、涙ばかりがこぼれるようになりました。息子はどうだったのか、後になって聞いたのですが、「夢か現実かわからなかった」と言いました。

1年前の冬まではサンタさんを信じ切っていたような精神的に幼く育ててしまった息子。頭は混乱し、悲しみが押し寄せました。

そんな私を見かねて、1年間後くらいに中学2年だった息子から「ママは文章を書くのが得意だから、ホームページを作ってみたら?書いたら発散になるよ。掲示板も備えていたらいいかも」という提案。

息子なりに私の悲嘆を回避することを考えてくれたのでした。今でも感謝、感謝なのです。逆に、彼が私を支えようとしてくれていました。

同じ時期に未亡人になった、当時パソコンで私のHPを見つけてくださった方の中には、今もメールや電話のやり取りをしている方もいます。

年賀状お友達も。オフ会などをしたから、できた友人です。今は息子は言ったことを忘れていて、そんなこと言ったかな?だって。

ただただあの子は、自分の得意なことで母親が喜んでくれる、一挙両得を実践してくれたのでした。

お友達になった方々は、未亡人はお仕事をなさっておられるお元気な方ばかり。がんのお友達はご主人がおられます。

両方ないのは、やはり今も私だけ!凄い確率に当たってしまったのだなぁと、しみじみうなだれる時もあります。

今は皆さん、お孫さんに恵まれた方も多く、あの「まさか!」から立ち直り、上り坂の方も多いです。時間は薬ですね。

散歩途中の今日の空

この日記を書くにあたり、夫のお寺を回って来ました。夫の家は禅宗の曹洞宗でしたので、曹洞宗のお寺の納骨堂に夫はいます。

出身地から離れているし、病気も癒えてない私のために、夫の母が、当時近くに置いてくれていいよと言ってくださったから。

歩いて行ける近くの曹洞宗のお寺に収めました。私も死んだらここに入るのです。

しかし、きっと令和の時代は「お墓終い」の時代ではないかと思っています。

少子化で、お墓を守っていく人がいなくなるでしょう。息子に迷惑をかけないためには、どうすればいいかを今考える時になりました。

お金のこと、お墓のことは、これからの我が家の課題です。

今日の夕陽です。まずは早めに息子が結婚してくれることを願っています。もし、1人で生きていくことにしたら、いづれお墓はどうなるのでしょうか?

そんなことを考えないといけないほど歳月が経ちました。夫がいてくれたら!と思わない日は1日もありません。

が、最初に書いたように、誰でも死別は経験するもの、私は普通よりちょっと、というか20年以上かな?

早かった。せめて、息子が高校生になっていたらと、つくづく思う日々ではあります。

でも、「貴方、かなり楽しくも暮らせるようになりましたよ。見ていますか?これからも、私がそちらへ行く時まで待っていてね」と言えるくらい元気になりました。


明けない夜はない、どんなに長いトンネルも抜けられる、生きてさえいたらそうなんです!!

今、死別されて悲嘆と苦しみの中におられる方、年月がゆっくりと癒してくれます。

できたら、私がお話を聞いてさしあげたいくらいですが・・。

日にち薬、それが経験者の偽らざる言葉です。

頑張らないで、少しだけ前進したり後退したりで、日々をやり過ごす、私と同時代の皆さんはこれでやってきましたよ。

コメント