いつか、「労働災害に陥らないために」といった趣旨の記事を書こうと考えていました。
後日、書きたいと思っています。
労働災害に合われた遺族のお客さんの話しにビックリ!
あんまり暑いので、思い切って髪を中学生以来の、ショートカットにしてもらいに美容院へ。
60代後半と思われる姉妹2人でなさっている、こじんまりしたお店。2回目です。
でも、長年のお客さんがいらっしゃるみたいでした。
そこで、最初は安倍元首相のことばかりでしたが、次第に話は年金のほうへ。
お客さんの80歳のご婦人が、ご主人の労災遺族年金で暮らしてきたという話しになりました。
「ええ~、そんな方がいらっしゃるんですか?実は私も労災遺族年金で生活しているんです!」と言うと、美容師さんたち、またビックリ。
実は、私も驚いたのです。
こんなに近い街の中の美容院に来るお客さんに、夫を労災で亡くしている人が他にもいたってことに。
そのお客さんは、もう年齢が80歳になられたから、自ら仰ったのではと、美容師さんたち。
美容師さんの妹さんは、離婚されていて、国民老齢年金が少ないので、事務所に相談に行って、「生活できません」と言ったら・・
年金事務所の方から、「アルバイトをしてください」と言われ、呆れたそうです。
私も、あんまりな言い方に、どう返事していいものか、困りました。人生、色々です・・
数十年前に、ご主人が仕事中の交通事故で亡くなったそうです
病気(脳卒中・心臓病)や精神疾患で認められる方は、本当に少ないのです。
死因が本当に仕事だったかを証明するのは、至って困難だからです。
昔は、「針の穴にロープを通すくらい困難」と言われていたことも知っています。
でも、仕事中の交通事故死や、建設現場での転落死などは、もう明らか過ぎるので、即認められます。
その80歳のお客さんのご主人は、仕事中の交通事故で亡くなられたとのこと。
こちら側が悪い交通事故だったけど、認められたと。
お相手がどうなられたかが気になりますけどね、もう数十年前らしいので不明です。
当時3人のお子さんの子育て中で、「主人のお陰で3人の子をちゃんと育てられました」と。
子どもが18歳になるまでは、かなり優遇された金額がいただけます。
1人しか子どものいない私でも、そう思いましたから、3人となるとかなりの額だったでしょう。
子どもが18歳になると、わぁ~っと、ビックリするくらい一気に減りました。
「主人には感謝しかない」と仰るそうです。私もわかります、全く同じケースはないですけど。
80歳のご婦人は、即認められて、ご自身はご病気もなく、今も至ってお元気だったら、「感謝しかない」はずです。
お子さんたちも大きくなられて、きっとお孫さんにも恵まれて、お幸せで80歳を迎えられたから、美容院でも言えるようになられたのでしょう。
私のように、こんな中途半端な歳で、認定されたことをブログで書く人はいないのではないでしょうか。
黙っておけば、興味本位の対象にもならずに済むかもしれません。
だけど、「労働災害」自体が起こってほしくはないことですから、それを防ぐにはという発信をしたいという理由もあります。
私の(夫の)場合は
夫の労災が認められたのは、死亡5年後でした。
約1年間は、「不服申し立て」に時間がかかりました。
そして、2人の「過労死専門」の弁護士さんにも依頼しました。
5年分の労災年金と葬祭料の2割は、弁護士さんへの報酬でした。
でも、大阪の弁護士さんに出会わなければ、九州の弁護士さんだけでは無理だったと思えます。
1年で、しかも地方の審査会で「認定された」のは、大阪の弁護士さんのお陰だと思います。
弁護士さん2人と私、あと証人に選ばれたのは、当時高2の息子でした。
息子の書いた「陳述書」が訴える力があると判断されました。
私はてっきり、職場の上司にお願いいただくとばかり思っていました。
残業時間の100時間以上は満たしていましたし、あとは「情」に訴えかけることになったのです。
「owlさんのご主人のこの案件が認められなかったら、僕が担当している他の方の案件はどうなりますか?」と仰ってくださいました。
それくらい、大阪の弁護士さんには「認定」が見えていたようです。
そうして、認められた時は、疲れてはいましたが、主人の仏前にワンワン泣いて報告しました。
弁護士さんたちからは、その夜、お祝いにと、夫の享年の43歳、43本の赤いバラの花束が届きました。
私の場合は、病気もしていましたし、無理はできない身体でした。足も浮腫みがちでした。
そこへ、高2から高3にかけての春休みに、息子と東京の大学見学に行って、「リンパ浮腫」発症。
これには、生きている限り、お金がかかり続けます。
「すべてよし」にはならなかったのが、私の運命と言えるでしょう。しかし、感謝です。
その1年の間に、数人の労災を訴える未亡人、息子さんをパワハラで亡くされたご夫婦にも出会いました。
皆さん、裁判までなさって、長い年月をかけて、当時の方々はほとんど「認定」されました。
無念にも、「認定ならず」の方も、おられたのも事実です。
本来なら、生きるためにしている仕事で命を落とすことは、あり得なく、悲しくも辛い出来事です。
昨今は、職場や上司からのパワハラやモラハラ(精神的虐待)での自死の件数が増えていることも、危惧しています。
ただし、以前よりは、ずっと認定されて、救われる方も増えたことも聞いています。
弁護士さんは、事件があってからしか動きません。(扱うのはお金だからです)
今後は、こういう「あってはならないこと」に巻き込まれないためのことも、書いていきたいと思います。
安倍元首相も、応援演説だったとはいえ、「労働災害」だったのではないかと、ふと最後に思いました。
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