妹夫婦に以前会ったのは10年近く前のことです。それ以来、妹は私の電話にも出なくなりました。
2013年酷夏の8月、私が酷い蜂窩織炎を起こしてしまいました。
息子の国家試験浪人生活、とりわけ食を支えられなくなったため母に手伝いに来てもらいました。
あれほどの確執はどこに? お互いに成熟した
その時に、母は足の脛(すね)の酷い怪我をしていたにも関わらず来てくれたのです。
私が少し回復してくると、母が隠していた自分の足の怪我のことを言いました。
見るとかなり深い、広い怪我。しかも皮膚の薄いすねですから、痛いのを我慢して来てくれたのです。
途中から、母の足の怪我の治療が最優先になりました。
整形外科では無理で、総合病院の形成外科まで私が付き添い、毎日の傷の手当をしていました。
その頃、妹夫婦が母の加減を見に、うちに来て会ったのが10年前なのです。
妹の目には元気そうな私と怪我をしている母という構図が写ったはずです。
それから、妹は私が母を自分のいいように利用しているワガママ極まりないヤツとしか見なくなったのです。
強固な確執の始まりでした。
それが、8日の母の葬儀での再会。
お互いに老成したのか、成熟したのか、スルっと会話ができました。場所が場所なだけに。
また、妹の旦那さまはやはり「イケオジ」に変化していて、物腰柔らか、コミュニケーション力抜群のおじさんになっていました。
息子にも私にも優しい言葉が多かったです。
精神科医ですが、64歳と私と同じ歳で2年前に勤務医を引退し、週に3回くらいの軽い仕事にしたそう。
時間的な余裕はあるようでしたが、腰と肩が痛くて、運転も止めて車も手放したと言っていました。
火葬場では、和室で母が遺骨になるまで、4人で話しをしました。
相変わらず私の言うことに逐一否定的な言葉をぶつける妹でしたが、私もスルーできる余裕がありました。
母もいなくなった今、未熟だった私も老成し、妹も私のことなどどうでもいい風に変わっていました。
私がこれまでに出会ってきた方々のいいところを取り入れられて、少し成熟したことは大きいと思います。
これから、四十九日もあり妹夫婦とは何回も会う機会があるでしょう。
もう波風立てることなく、姉妹として普通に付き合えることを願ってはいるのですが、妹の心持ちはわかりません。
現に、いまだにSMSのやり取りは、妹の旦那さまなのです。
父が亡くなる頃からの妹夫婦の苦労に感謝、感謝
父のがんがわかったのが2013年の終わり、うちから帰らないと言い出した母を帰した後のことです。
まとまったお金を渡して、やっと母に帰ってもらい、私も一時的に回復、息子も翌年国家試験合格。
が、父は胆のうがんの末期でその年の8月に亡くなっています。
それからの妹夫婦は、母からの電話に振り回されることになりました。
私は2014年には、頼まれもしない息子の救急部の時期に手伝いに行き、自滅。翌2015年には入院。
それからは、リンパ浮腫が腹部、鼠径部、外陰部まで広がり、生活の質がガタ落ちしました。
母が我が家の近くに越して来たいと言うのを、やんわり断ると、それからは妹夫婦にすべての連絡が行ったようです。
父が亡くなってから、母はやはり姉妹どちらかと過ごしたかったのかもしれません。
しかし、私はソリが合わず、かといって妹も近くに母を呼びたいとは思わなかったそうです。
母は仕方なく実家で、ノビノビと服を買ったり、友人と遊びに行ったりしてしばらくは楽しい時間を過ごしたみたいでした。
そして、右腕骨折と聞いていた「骨折」は、実は転倒してからのもっと酷い骨折だったのでした。
頭蓋骨陥没骨折、右腕の上腕骨折、あばら骨の骨折で、瀕死の状態で近所の方に見つけてもらい救急搬送。
そこから、大きな総合病院に転院したところで、妹夫婦に連絡が行ったのだそう。
それからは、手術とリハビリにと妹夫婦は何度も実家と母の病院を訪ねていました。
奇跡的に回復したものの、妹の旦那さまの
「もう、あんまり動かないでください。どこか施設に入ってもらったほうが助かります」の言葉でやっと入所することに。
それから施設に持って行くもの、主に数ある「服」の搬送が大変だったらしいのです。
ダンボール十数箱、最初は部屋が箱で埋まっていたそうです。
買ってやった冷蔵庫、テレビも小さいと文句を言い、ワガママ放題だった母。想像できます。
そしてコロナ禍に。人とのおしゃべりが大好きで自画自賛の母は最初はいいのですが、すぐに嫌われるように。
そうすると、自分のことを悪く言った人のことを貶めるようなことを言い、返って人が離れます。
少しづつ認知症の傾向が現れ始めたそうです。それでも最初は物忘れ程度。
軽い心不全から車椅子になってからは、ダンボールの服が邪魔で、結局捨てたそうです。
心不全からも復活をとげて、それからも妹夫婦は散々振り回されています。
その前には、実家を売る手はずにもかなりの時間と手間がかかったようです。
父の作っていたステンドグラスのランプやパネルも、ステンドグラス屋さんに一括で安価で引き取ってもらったんだそうです。
何故、親戚など欲しいと言う人にあげなかったのか? 母の心理がわかりません。
それを妹夫婦は車でかなりの回数往復して、持ち運んだそうでした。
母にも面会に1か月に1度は訪れて、話し相手になっていたようです。旦那さまもすごくいい人過ぎです。
そして、昨年末にはコロナ罹患。今回はダメかと思ったら奇跡の復活。
しかし、もう先は長くはないということは私たちにもわかりました。
妹の旦那さまからのSMSメッセージがなかったら、母に会いに行く機会を失っていたかもしれません。
どこまでも懐の深い、優しい旦那さま。妹のどこに惚れたのか、真実を聞きたいくらいの私。
そして、今度の葬儀、納骨、四十九日までの手配の早さ。
これ以上振り回されるのはゴメンだとの、彼らの心からの叫びが聞こえてきました。
よくわかります。子どものいない、健康体の妹夫婦だったからできたことだと感謝しかないのです。
私はここ数年は韓流ドラマを見たりして、楽しんでもいましたから、申し訳なかった気持ちでいっぱいです。
やっと母の入院騒動、家の始末、介護、葬儀から解放されるのです。
妹夫婦にはこれからしばらくはゆっくり温泉にでも行って、心身を癒してほしいです。
妹は若い頃は肥っていましたが、今は私よりもお腹やお尻は痩せてしまっています。
旦那さまも運転が再開できて、また車であちこち出かけられるよう身体のメンテナンスをしてほしい。
この9年間の妹夫婦の労力には、ただただ感謝しかないです。
「うちの実家のことで、本当に迷惑とご苦労をかけました」と言うと、旦那さまは、
「いやいや、いい社会勉強になりました。どんなことからも学びはあります」と。
妹が選び、選ばれた旦那さまに最大の敬意を払い、また妹にも感謝しないといけないのは私なのでした。
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