明日5月20日は先月亡くなった実母の四十九日です。
が、先月19日から起こした蜂窩織炎の影響で、足にまだ以前とは違う違和感が残っています。
約1か月も経ったのに、ここまで足の浮腫の感じが元に戻っていないのは、なかなかありませんでした。
無理をして、地下鉄と電車を乗り継いで、その後タクシーでお寺まで行くのは自信がありません。
行けても、その後が怖いのです。「また、起こしたら・・」と。
実は、1人で地下鉄と電車を乗り継ぐのも怖いのです。胸がドキドキしてきます。
まだ「パニック障害」は治っていないのでしょう。
母のところに行くから、そうなるとばかり思っていました。
が、母が亡くなった今も、1人で列車に乗る、座れない時は立って30分以上が、頭の中で拒否されます。
昨日、妹夫婦に先月からの足の炎症で、四十九日は申し訳ないけど行けそうにないとメールしました。
妹夫婦は、当日お供え物の手配があり、一緒に行くことはできません。
私が預かっている「母の遺影」を、今日タクシーで届ける旨も伝えました。
そうしたら、小さい母の遺影は自分たちのところにもあるから、それで行うので問題はないと。
足の状態をメールしたら、「家でお参りください、供養の気持ちがあればきっと届きます。蜂窩織炎の治療に専念してください、お大事に」と旦那さんから返信が。
わかってくれたみたいで、焦りの気持ちが和らぎ、どこかホッとしました。
元気であれば、亡くなってから1度しかお参りに行けていない「父」のお参りもしたかったのですが。
こんな狭間の時期にまさかの蜂窩織炎、それもますますリンパの流れが阻止されたのではと思える硬い浮腫みがとれません。
こんな時、ドレナージをしていいのか、いけないのか、S先生に聞かないといけません。
S先生もわからないことかもしれません。佐藤佳代子先生に直接聞きたい!しかし、遠いし、ツテがない。
乗り換えのきかないこの身体とこれからも付き合っていくしかないですね、悔しいけど。
無理の効かないこの身体、もう自分のことを一番に考えたいと思います。
今は誰かのためには、この身体は役に立ちません。
こんなふうでは、誰にも「恩」を返せないかもしれません。
そうならないためにも、まずはこの身体をなんとか立て直し、メンテナンスして少しでも良い状態にすることです。
自分を犠牲にすることは止める決心がつきました。
大げさですが、もう少しこの世に生き残って変わりゆくこの時代を見ていたい希望があります。
母が元気な時に言っていたのは、「死んだ人より、生きている者のほうが先」って。
結局、生きている人のことのほうが、死者の行事や出来事より優先されると言いたかったのかな。
夫が亡くなってからこの言葉を聞いた時は、母らしく冷たいなぁと思ったものですが。
こんな年齢になって、病気を抱えていると、母の言っていたことがわかります。
だから、母もきっと私が明日お寺にお参りに行けないことも理解してくれるでしょう。
家からお参りの午後2時に、遺影に手を合わせることにします。
妹夫婦にはお世話になるだけで、何も戦力にならないのはこれまでと同じだから期待もしていないでしょう。
妹夫婦が疲れないで、元気でいてくれることが何よりです。
とにもかくにも、足に不安感がなくならないことには、まず遠出はできないです。
私のリンパ管の回復力、どうか日にち薬で発揮されますようにと自分で自分のことを祈る日々です。
いつまでも親不孝な娘を許してくださいね、お母さん。
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