夫が亡くなって、自分もリンパ浮腫になり炎症を起こして、母に助けを求めていた初期の頃、まだ妹とも交流もあった時に言い放った言葉です。
それを冷たく口にした妹自身は今も変わっていません。
理不尽な人から投げつけられた「わかったような言葉」。それを言った本人がおかしいので、考えてみました。そして、これを機に、執着を終わらせます。
長い愚痴にもなりますので、興味がない方はスキップしてください。
変えられるのは未来と自分 自分を変えられない人に言われたくない
妹に遺産の書類を同封の返信用(速達)封筒で送り返してから、妹こそ全く若い頃から変わっていないことを再認識。
過去に私に対して、そんなことを言っていたのでした。
後にその言葉は1950年代に活躍したカナダの精神科医エリック・バーンの言葉だとわかりました。
しかし、張本人の妹は若い頃から一貫して全く変わっていないのです。
お金への執着、慈悲の心のなさ、異常なまでの冷徹な人間性、若い頃を知る姉として断言できます。
妹は小学校4年生で、「大阪万博に行くよりお金がいい」と言ったのを聞いたのは母がK子叔母に話したからでした。
「目が血走っていると、貧乏くさい」と30代の頃言った時も驚きました。
「貧すれば鈍する」ともよく言っていました。とにかく貧しいことが大嫌い、裕福万歳なんです。
旦那さんは田舎の病院の長男で、医師になりたくないのに私立の医大に入れられた人でした。
そのモテモテだった彼を、見向きもしないフリをして、「おや?」と思わせるテクニックで、自分のところにおびき寄せたことも母に語っていました。
当時旦那さんとの恋愛ごっこにかまけて、両親の祖母のお葬式にも妹は出席していません。
「ディスクジョッキーになりたい」と言っていた旦那さんを医師になるように説得したのも妹です。
「妹以外とは結婚しない」と実家の反対を押し切った彼と、強行突破して結婚したのも、妹は「この人を逃したら、もう後はこんなにいい話しはない」と思ったそう。
旦那さんは妹のお陰で何とか医師になり、精神科に進み還暦過ぎまできましたが、62歳で常勤を辞めています。
元々「医師」が得意ではなかったのでしょう。それにもう十分なお金があるとしか思えません。
子どもを作らないのも、妹の自己主張の最たるものでした。
若い頃、「最近妊婦をよく見る。腹の大きな妊婦を見ると気持ちが悪い」と言っていました。時期的に、今の団塊ジュニアを身籠っていた団塊世代の女性たちのことだったでしょう。
妹は、本来なら当時短大卒業で立派な一部上場の化学メーカーに勤めていたので、結婚などせずにお1人さまを遂行すればよかったのです。わざわざ、普通の旦那さんを道連れにしなくても。
そして、今度の遺産騒動でも、私がスキを見せてしまい、全部を妹に持って行かれました。
老成して、少しは変わったかに思えた妹、最強のモンスターにまでなっていました。
私ができなかった分を手伝ってもらったことへの見返りは、旦那さんに分けるそうです。
それが、子を生まなかったこと、あまり一生懸命働く旦那さんではなかったことへの穴埋めなのでしょう。
「過去の自分は他人」ではなく、なんの変化もない「ずっと昔の名前で出ています」状態の妹。
しかし、もう妹は怪物ですから普通人は太刀打ちできません。そんな妹をも赦す気持ちになりました。
母があの母でしたから、躾も何もあったものではなかったのです。じゃじゃ馬娘になってしまった私たち姉妹。父も出る幕なし。
私も自分の若い頃を考えてみると、本当に穴があったらさらに掘って潜りたいくらい恥ずかしい「自己中心」の人間でした。
妹に、姉風を吹かせて、嫌な思いをさせたこともあったと思います。とにかく私は妹にとって目の上のタンコブでした。
国立大学に落ちて、全く勉強しなかった大学時代、自己確立ができたと思えたのは25歳過ぎてから、それから実家を出るのが結婚の一番のモチベーションでした。
手近な職場で夫に出会い結婚、居場所を得てルンルンでした。私が変わったのは子どもを授かってからです。
そして、決定的に変われたのは、病気をして、更に夫を失ってからです。後遺症も抱えています。謙虚になりました。ならざるを得ませんでした。今はそれが有り難いのです。
人生は自分の思い通りにはならない、理不尽なことも多々あることに気がついたのは大きなツマヅキが何度もあったからです。
思いやりの気持ちも芽生え、自分より大切な存在ができたことに対する気持ちの変化もありました。
確かに「自分と未来は変えられる」かもしれません。ただ、「未来は読めない」ほうが当たっているかもと思います。
「過去と他人は変えられない」ことはない とらえ方次第
もちろんすでに起こってしまったことは変えようがないことは誰だってわかります。
起こってしまったことに拘って、今を見失うのではなく、これから先のことを考えた方がいいのはその通りです。
でも、本当に過去は変えられないのでしょうか?
その起こった出来事が、後の自分にとって良い方向に進む考え方や、気づきや、学びになったら、それは未来の自分の行動にポジティブな影響を与えるでしょう。
そうすれば、過去の出来事のとらえ方を変えることができます。
そう考えると「過去は変えられる」と思ってもいいのではないでしょうか。
思わぬ時に病気になったり、突然頼りだった夫に急逝されたり、例えばもっと身近ないじめにあったりした経験から、他者の気持ちをくみとり、優しい気持ちを持てるようになったりもします。
そういう場合は、過去の出来事の解釈が変わります。それができるのは自分自身で、何度も解釈の変化の上塗りをしていけば、イメージとして過去は変えられるのではないでしょうか。
勿論、実際に夫が生き返ったり、私の病気が消せるわけではないのですが。
他人もこちら側の接し方次第で変わる人もいることはゼロではないでしょう。
人と人、どういう関わり合い方、接し方をするかの問題で、全く変えられないというのも違います。
大きな気づきや学びがあれば、他人をも変えることは可能なはずです。
妹の話しになりますが、彼女には残念ながら、人生における大きなダメージはありません。
7ミリの乳がんも克服して超元気です。母が「娘2人ががんになったと笑いものになる」と言って、妹の乳がんには緘口令を敷きました。
母親からして「嘘つきの名人」でしたから、妹がその要素を確実に受け継いでいます。私は「嘘は泥棒の始まり」と習ったように、「嘘」は大大嫌いです。
目の上のタンコブだった姉の私が弱っていく姿には、「いい気味だ」と勝ち誇ったように祝杯をあげているかもしれません。
自分のいいように旦那さんも巻き込んで生きてきて、今を謳歌しているでしょう。
一貫して過去から現在までなんら変えられない人もいるんです。罪人かもしれません。
それでも赦す気になるのは、争いたくないからです。仲良くしたいのでもありません。
いつか自然の大きな摂理に、裁かれていただきたいものです。
こんな恥をさらけ出す場にしてしまい、最後までお読みいただいた方、有り難うございました。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
コメント
よく見てらっしゃいますね。
ハッチsun はじめまして
コメントありがとうございます。
思いがけない言動に驚き、印象深いので覚えているのです。