昨日は9月以来3カ月ぶりの大学病院の婦人科外来受診日だった。
12月1日まで抗菌剤を飲んでいたので、リハビリを終えても用心して過ごして来た。
今まではこんなことはなかったのに、3カ月の間に2回も酷い蜂窩織炎を起こすなんて・・
我ながら「老化」と「免疫力低下」をまざまざと感じた晩夏から初冬までだった。
リンパ浮腫友のMさんも9月と11月に大腸ポリープ切除の施術を受けるため入院していた。
1回目の後には、私と同じように酷い蜂窩織炎を起こしてもいた。
が、無事2回目の大きいポリープも切除、退院して約2週間での昨日の婦人科外来。
Mさんはやはり3キロほど痩せたとみえて、少しスリムになっていた。
が、熱はすぐに下がるし、声にハリはあるし、スリムな今がちょうどいい体型みたいだった。
「肌色は浅黒く、顔にシワが少ない」「声にハリがある」「今も快食快便」と元気な要素ばかり。
ヤワな82歳ではなく、丸コロ体型は維持した、「本当に修羅場をくぐったの?」というくらい元気だった。
私は事前検査(マンモと血液検査)ができなかったため(11月の蜂窩織炎)に、当日の血液検査のため絶食で向かったのと、低血圧でなんか辛い。
水とお茶だけはOKで、水で血液検査まで凌いで、持参したバナナを隠れて食べた。
少し元気が出た。それから、血液検査の結果が出るまで1時間以上は待ち時間。
その間にMさんもやってきた。彼女は今日は「弾性ストッキングの指示書」をもらう日だった。
Mさんはスマホを自在に使い慣れて、自分の切除したポリープの写真も先生の許可で写していた。
生々しい、ポリープというよりボコボコした出来物みたいに見えた。
3.5センチより大きかったらしいけど、1回目の2センチのほうが悪性度が高かったので先に施術。
しかし、2回目も癒着あり、盲腸の近く(上行結腸)だったらしく、上級医の施術だったらしい。
幸運にも小さな数個は残して、危ないものは取り切れたので、あとは回復するだけらしい。
主治医からは「よく食べて、よく眠ること」と言われたそうだ。
彼女曰く、「よく食べてたらまた肥るから、今をキープしなくっちゃ」と。
それくらい元気になっていたMさんに、私は感動すら覚えて、やはり元気玉をいただいた。
Mさんからいただいたお土産↓
私が長い首が寒いと言っていたのを覚えていてくれて、使わない可愛い首巻もくれた。↓
どこまでも気遣いをしてくれるMさんの記憶力には参った。同年代と話している気しかしないのだ。
私はなるべく嵩張るものを持って行きたくなかったので、後になったが「ほんの気持ち」の現金を包んだ「お見舞い」を渡した。
9月に渡せなかったものを今さら渡して、失礼だったかな(汗)
今まで冷たかった女医先生も、私がさすがに3カ月で2回も酷い蜂窩織炎を起こしたことを伝えると、急に優しくなった。
血液検査の結果は、やや貧血であること、腎臓がやはり少し弱っていること以外は自分で判断して異常はなかった。
先生も血液検査の結果には何も言わなかった。どうしようもない項目なんだろう。
いつもの薬と、もしまた蜂窩織炎を起こした時にために抗菌剤を5日分出してくれた。病院を受診しろと言うことだ、当たり前か。
Mさんにも、今回は腸の施術をしているし、蜂窩織炎も起こしているからか優しかったらしい。
お昼も遅くなったが、院内の食堂でやっとゆっくり食事ができた。
本当に久しぶりに「牛肉」を食べた。外食が高くなったなぁと、ここでもインフレを感じた。
Mさんはまだ用心して、柔らかいドリアにして、食後に2人でコーヒーを飲んだ。
「お互いに散々な半年だったねぇ、よく頑張ったよね私たち」と自分らを褒めながら、「厄を落としたいね」と言い合った。
Mさんと私、ほぼ同じ時期にとっても辛いことを経験して、何かが連動している気がした。
Mさんから、夜またLINEが来て、「来る新しい年は元気でお互いに過ごせたらいいですね」と。
気配り、連絡を怠らない、そういう気遣いの積み重ねがMさんの愛される今を作っていると感じた。
いつも応援ありがとうございます。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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