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【幸来花】を20年も育ててくれている未亡人友に感激の涙

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ご存知の方はいないだろう、日本では暖かい沖縄に咲く花で、なにしろ丈夫。

「こうらいか」と読む。

私が夫を亡くして翌年秋にHPを開始して、掲示板でオフ会をする仲間も増えたことは以前も書いた。

10月に寝込んでしまった時に関西のオフ会3人のうちの会ったことがない1人とLINE交換ができたのだ。

その彼女Ymさんが今も「幸来花」を育て続けてくれていることを知って感激と驚きで涙すら出るほど!

この「幸来花」の種というより葉っぱは、息子が中学3年生時の修学旅行でお土産に持ち帰ったもの。

「幸来花」の詳しいことはクリックを

それを、HPを始めて2年目、育て始めた。

だって、名前がいいじゃないですか?! 「幸せがやって来る花」なんてね。

けして美しい花ではないが、名前に惹かれたのは言うまでもない。

育ってきて花も咲き始めたので、掲示板の皆さんに「お分けしますから、ほしい方は連絡ください」と書いた。

そしたら、植物好きな方たちから要望があったので、葉っぱを郵送で送りお分けしたのだった。

こんな育て方のコピーも一緒に。20年前のコピー↓

私は完全に忘れていた。

というか、九州北部で震度6弱の地震があった2005年以降、徐々にベランダ園芸の鉢数をかなり減らしたのだ。

幸来花は、葉っぱで増えるので、落ちた葉っぱから隣の鉢にも芽を出し育ち始めるほど丈夫なのだ。

地震がまた起こったら!と思うと鉢数を増やせず、処分してしまったのだ。

それからは、2019年の大断捨離で、ベランダの鉢も3鉢残して全て処分した。

もう「幸来花」のことなど頭から完全に抜け落ちていた。

そこへこの度、Ymさんが「なんでも枯らすのにこれだけは残っています」と冬は家に取り込み、大切にしてくださっていることを知った。

当時が蘇った。私はうつ病で母に応援に来てもらっていた。それでも続けてたHP。

息子がちょうど沖縄の修学旅行から帰ってきた。(中高一貫で中3の3月に修学旅行)

私のうつで1か月ほど母に居てもらった頃、妹がごく初期の乳がんがわかり、母は妹の家に応援に行った。

薬と母の支えで何とか最悪を抜け出して元気を取り戻して来た頃に、幸来花の花が咲き始めたように思う。

息子が沖縄より持ち帰った「多肉植物」、名前もよかったが、実はすごい繁殖力だった。

今も当時の説明書は捨てられないで、ファイルに入れていた(冒頭の写真)

息子の持ち帰ったものだから、20年経った今も捨てずに保管していたんだ。

ご丁寧に小さなシールパックの小袋もとっていた。

これに葉っぱを入れて、説明書と一緒に封書で送ったんだった。

やはり、お分けした方は「死別」の方が多かったと思う。

偶然か?、それからが運が開けてきたかのように、私も元気になり息子も進学がスムーズだった

郵送後は、皆さんから「咲きました」という報告ももらった、確かに。

けど、増えすぎて、皆さんきっと処分するハメになってしまったのではないかな。

配った張本人の私も増え過ぎて、可愛くなくなり、処分してしまっている笑笑

この頃は、まだ息子と一緒にがむしゃらに生きていた時期。

息子が幸せをもたらしてくれたと言える。可愛かったな、あの頃の息子。←親バカ

今、息子に話したら、やはり驚いていて、「写真を送ってもらったらいいよ」と言った。

Ymさんも、「暖かくなり花が咲いたら、写真を送りますね」と言ってくれている。

そして、私が処分してしまったことを知らせると、「お里帰りさせましょうか」と言ってもくれた。

だけど、もう今の私の健康状態では、鉢は増やせない。

有り難いお言葉だけど、少し考えさせてもらっている。

あの頃は、夫を亡くして割にすぐの時期、皆さん同時期の仲間で、悲しみの中一生懸命子育てに生きていた時期。

ふと思い出しても、涙が込み上げてくる。母子家庭のわびしさ。

息子も自分も可哀そうで、悲しくて、よくお風呂で、公園で泣いていたあの頃。

よく皆さん生き抜いておられる。自分もまだ頑張っている。

Ymさんは当時のお花まで育ててくださっていて、こういうのも縁なんだと思うのだ。

里帰りに葉っぱをいただいて育てたら、また私にも元気が蘇るだろうか。

感謝、感激とともに、20年の歳月に思いを馳せた。

拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m

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