振り返りになるのだけど、なぜ夫との死別直後ではなく、2年後に「うつ病」になったか?
前回の「幸来花」の記事で、うつ病を発症したことを書いた。
それは、簡単そうな仕事を始めてすぐに体調不良で辞めることになったから。
夫を亡くしてすぐは色々なことに忙殺されて、あまりのショックで悲しむことすらできなかった。
まだ子宮がんの経過観察も2か月おきだったし、再発の恐怖から仕事ができなかった。
執刀医から「術後は普通の生活はできない」と言われたことがいつも頭の隅にあった。
息子のお弁当を作り、中学校へ送り出す。その後また寝ていた。
中学ではまだ親の行事参加も結構ある。それに出席する、夕ご飯を作るだけで精一杯のヘタレ。
それほど当時から身体は頑健とは言い難かった。
2年が経ち、3回忌も終えた頃、夫の同級生らが弔問に来てくれた。
その中の1人が、「何もしないで家にいるのも辛いでしょうから、仕事をしませんか?」と言ってくれた。
それは、同級生の彼が立ち上げた小さな「会社」に雇用されるということだった。
実際の仕事は開業した同級生医師のクリニックの受付業務に派遣された形。
私は一抹の不安はあったが、「未亡人になって何もしていない」という世間の目のほうを気にしてしまった。
幼なじみで親友だった同級生の友人は、「止めたほうがいいよ、受付業は結構忙しくて大変だから」と止めてくれた。
「見た目より忙しくて、アウルちゃんの健康状態には合わないと思う」とも言ってくれた。
が、友人の言葉より、世間の目が気になった私は仕事をしてみることを選んだ。
友人は「知らないよ、体調を崩してから愚痴を言っても聞かないからね」とまで言って止めたのに。
しかも暑くなる時期の6月(夫の命日月)からだった。
クリニックはまだ正式に立ち上がってはいない状況で、医師1人、レントゲン技師の女性1人と私だけだった。
受付の他にも、薬の管理や雑用、なんでもしていた。
午前10時~午後6時までだったが、やはり通勤と家に帰ってからの食事の支度が段々堪え始めた。
息子にカレーの作り方だけは教えたが、彼も学校から帰ってから夕食が作れるはずがない。
仕方なく私は勤務後にデパ地下でお惣菜を買って帰ることが多くなった。
コンビニのお弁当だったりもした。
そして、いよいよ残暑厳しき8月下旬、夏風邪をひいて休まざるを得なくなった。たった3カ月弱。
その夏風邪が長引いた。不安は募って来る。5年生存もクリアしていなかった。
そして、やっぱり友人の言ったように仕事と家事の両方は出来ない体力であることがわかり、辞めてしまった。
知り合いからの紹介なだけに、申し訳ない気持ちになった。
そして、秋になってもずっと37℃台の微熱が続いたのだ。
「ああ、この身体、外に出て行く仕事すらできないのか!、何にもできない、再発かもしれない」
不安と恐怖で眠れなくなっていった。微熱はずっと続いていた。
だましだまし、年を越してからもいっそう不安が募り一睡もできない日が続くようになった。
身体が動かなくなった。それでも息子のお弁当、食事だけは作った。フラフラだった。
心療内科にも通って、薬も飲んでいたけどダメだった。
友人には頼れない。あれだけ止めてくれたのに、私が押し切ったのだ。
母に応援を頼むことしか思いつかなかった。それが2004年の3月、息子の修学旅行の前。
それから、大きな総合病院の精神科に紹介された。
そこでの主治医の処方の薬が効いたのか、母が来てくれて安心したのか、少しづつ快方に向かった。
自分は夫と死別しても、うつ病にはならないと高を括っていた。
うつ病は完璧主義の人がなりやすい。
そして、白・黒ハッキリさせたい人もなりやすい。グレーを認めるゆらぎが必要なのだ。
「自分とは関係ない」と思っている人もなりやすい。
私はなにもかもが上手くいかない、できないことだらけで、もう生きているのが嫌になったのだ。
感じたのは、この世の中が真っ暗になり、一点の希望も見いだせない状況になったこと。
いわゆる「絶望」である。
こうならないためには、「自分を追い込まない」「適当な緩さを覚える」「自分は弱いと認める」、そんなことが大事だ。
止めておくようにと言ってくれた友人を失ったことも大きかった。
彼女は結婚前、大手の損保会社で受付と秘書業務をやったことがあったから大変さがわかっていたのだ。
自分を過信してはいけないこと、世間の目ではなく「自分を大事にする」ことを嫌というほど学んだ。
この時から、うつ病は「心の風邪」というより、間違ったら自死に至る重病だと悟ったのだ。
今も軽い眠剤がいるのは、あの当時の衝撃が大きすぎたから。睡眠重視はここから。
私はよく生き方を間違える。
それでも、なんとか回復して今があるのは、大きな何か、夫かな、、に守られているからかもしれない。
X(ツイッター)のネコ坊主さんの言葉にいつも救われている。
こんな当たり前だけど、自分では言えないことを書いてくれるのが好き、有り難い。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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