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郵便局のキャッシュカード2枚発見 感情失禁

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探していたのは、大学病院の診察券。それは見つからない。

が、思わぬとことから、忘れていた思わぬものが出て来た。

夫と私のまだ「郵政省」のころの郵便局のキャッシュカード!

しかも、キッチンの背面のカトラリー・キッチン用品入れの引き出しから。

このキッチンの背面の食器収納家具を買ったのは2010年くらい。

その頃、何を考えていたか引き出しに、キャッシュカードを入れていたなんて・・

夫の分はもう22年前の相続の時に口座はなくなり、今は使えない(当たり前)

私の分は、失くしたと思いずっと通帳での入出金、振り込みをしていた。

今も使える口座のカードだった。

これを見ると、ここへ越す前の戸建てで一生懸命小学生の息子を育てていた頃を思い出す。

息子は先生に来てもらいピアノを習い、テニス教室と公文に通わせていた。

夫は長距離の通勤もいとわず仕事漬けの日々。

私は専業主婦で、車での買い出しと生協も使っていた。

息子に中学受験を始めさせる前までが、私にはゆとりがあり、園芸とテニスを楽しんでいた。

あんな生活がずっと続くと信じていた当時。

息子の中学受験を始めた頃から私の体調もオカシクなり始めたけど、軽視していた。。

この頃に、夫は仕事、私は一生懸命「郵便貯金」を頑張っていた。

団地の入り口辺りに、小さな郵便局があった。

夫の給料が出ると銀行口座から、そこへせっせと「定額貯金」をしに行っていた。

夫は給料日も忘れている(忙しい)、管理は一切私に任されていた。

息子が小学生時代は一番お金を貯められた時期だった。

お給料のほぼ半分を「郵便貯金」に入れていた。これが貯める口座だった。

あとの半分で家のローンを払い、食費、交通費、交際費、教育費をまかなえていた。

当時はボーナスからの税金の天引きはなかった。

ボーナスで定期付き生命保険料を年に2回払う以外は貯金していた。

これがすぐのちに夫の命に変わるものとは、つゆ思わない穏やかな日々だった。

本当にあんな日々がずっと続いて、息子が成長するものだと信じて疑わなかった。

そんな頃の、あまりにも懐かしい「郵便局のキャッシュカード」を見つけて、涙が出た。

最近は、ふと些細なことでも涙が出やすくなった。

学生時代、当時50代だったと思う男性教授が「最近涙もろくなってね、感情失禁するようになったよ」と仰っていたのを思い出した。

今シニアになって、その意味がわかるようになった。

この郵政省(今は総務省)のキャッシュカードは、夫と二人三脚で将来を思っていた頃を蘇らせる。

「60歳の定年までにはこの中古を建て直したいね」と私が言った。

「定年まで今の職場は辛いなぁ」と夫はあの時確かに言った。

ずっと過労だったんだよね。私を専業主婦に押し込めて・・

私も息子が幼稚園の頃から資格取得のための勉強を止めなければ、10年以内には資格が取れていたかもしれない。

そうしたら、私にも経済力がついて、夫も一馬力でガムシャラに働かなくてもよかったかもしれない。

しかし、そんな夢もなにもかもが、私の病気発覚で一瞬のうちに消え去った。

どちらにせよ、私の身体が弱かったために、2人で働くことも、夫を助けることもできなかった。

あの幸せだった頃のことはずっとなんとなく蓋をしてしまっていた。

だけど、夫と私のカードが見つかり、未来の幸せを信じて頑張っていた時期を思い出した。

そして、少し声を上げて泣いた。涙が出て困った。鼻水まで出る。

65年以上生きてきて、あんなに幸せだった時期はなかったかもしれない。

夫が結婚した頃より頼もしく見えるようになり、息子もまだ幼稚な可愛い小学生だった。

それからは波乱万丈、荒海に放り出されたんだった。

定期的に婦人科を適切な医療機関で受けていれば・・私の傲慢、優先順位を間違えた。

人生の幸せな時期を思い出させた、ふいを突かれた古い「キャッシュカード」の発見だった。

拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m

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