しばらくお休みしていました。
右足の状態が、くるぶしが浮腫んだまま治らない。
諦めないといけないか・・大きな靴を準備する
11月の小春日和に2日間連続で5000歩近く歩いたツケは大きすぎた。
また自分の許容量を超えることをして、脚と足に負荷をかけ過ぎた。
どこまでが許容範囲なのかも、加齢と共に違ってきているから皆目わからなくなった。
今は足の手入れ、手当てに時間が取られている。
出張セラピストさんの力をもってしても、くるぶしの浮腫みは引かない。
指包帯をしてエアボウェーブを履いて寝たら僅かに浮腫みが収まったかのように見えるが、完治はしないようだ。
諦めの境地に至った気がする。
指包帯は面倒なので朝は巻き直さず、そのまま弾性ストッキングを履く。
つま先にポリエステル布製のキャップを使って履くのだ。
日中はこれで過ごすしかない。
6センチと8センチの弾性包帯で、ストッキングの上から締め上げる。
よって、スニーカーも入らず、デカ靴で外出することになる。
外出も長くは歩けない。すぐに右脚全体が浮腫んでくる感じがして、腹式呼吸をしながら歩く。
昨日は近くの眼科で視野検査だったので仕方なく出かけたが、2000歩で夜の浮腫みは大きい。
今は寒い冬だから、弾性ストッキングの上から弾性包帯を巻けているが、暑くなったらどうしよう。
低かった「生活の質」が更に下がり、大規模修繕が終盤で空が見えるようになり、ぼんやりと空を眺める。
こんな生活での長生きは不本意だし、医療費の自費も辛い、また公的医療費も使っているし、生きていることに「意味」を見いだせなくなる瞬間もある。
しかし、すぐに「生かされている」ことに気がつき、どこかに光明はないか探し始める。
その繰り返しの毎日。
私の人生は狭い空間でヒッソリ生きるのが定められていたのだろうか。
それならば、この狭い空間でも「楽しく生きる」方法をみつけないといけない。
人生は楽しい時間を持ってこそ、死ぬ時に思い出して後悔しないのだ。
この足が元に戻るなら、どんなに幸せを感じるだろうか?
これは不可逆変化? もう少しあがいて、もう少しいい状態にしたいのが最大の願い!
36歳の息子と私 今後のこと・・
3月に風邪をひき、白髪を増やして東京から戻った息子は今年36歳(年男)になった。
この頃は、幼かった時代の息子が思い出され、可愛かったなぁとしみじみ。
幼く、夢の中で育ててしまって、息子は小学生高学年まで可愛かった。
子どもは3歳までの可愛さで親に恩返しをしていると言われるが、うちはもっと長かった。
まあるくぷっくりした顔つき、ミルクで育ったせいか少し出っ張ったお腹も可愛かった。
公文とスイミングに通わせ、ピアノは先生に来ていただいた。
一緒に送り迎えをしていた日々が懐かしい。
すでに36歳、息子にも子がいてもおかしくない年齢だけど、残念ながらいない。
孫がいる友人が増えてきたし、もう中学生のお孫さんがいる友人もいる。
私はそういう風景には出会えそうにないから、いつまでも息子の子ども時代が思い出されるのかな。
先週の金曜・土曜と帰って来てくれたが、料理以外は全て息子がやってくれた。
まあ、料理が立ちっぱなして一番負担なんだけどね。
だけど、洗い物、書類の片づけ、屋内に避難させていた鉢植えをベランダに出したり、掃除、箱崩し、ゴミ捨てとほぼ息子がやった。
そして、「再手術も考えたほうがいいんじゃない」と言った。「外科医は腕だよ」とも。
まだそこまでは決心がつかないが、息子なりに私の脚・足を心配してくれた。
そのためには、少し遠くでも自分が休みをとって連れて行くとまで言った。
息子に申し訳なくなる。こんなに虚弱な母親で、そのDNAを受け継いで・・
息子もそこまで応援してくれている。なんとか、やれることをやってみないといけないか。
同じリンパ浮腫の友人(蜂窩織炎をよく起こしていた)にも情報を聞いたりもした。
今はあまり起こさなくなったらしい。夜も昔ながらの弾性包帯で巻いて寝るらしい。
みんな、リンパ浮腫患者さんはそれぞれに最善を尽くして、日々を楽しめるよう工夫しているのだ。
今日は久しぶりに日記を書く時間を持てた。
年末で3年間になるこの不定期日記、今後どうするかも検討中。
こんな病弱なフクロウの独り言にお付き合いくださり、有り難く存じます。
書きたいことは山ほどあれど、今の足の状態では時間をとられ、中々更新はできません。
本来なら、死別した方々、リンパ浮腫持ちの方々との交流が希望でしたが、それは叶いませんでした。
でも、色んな方々に少しでも発信を読んでいただけて嬉しい限りです。
年内、残り少なくなりましたが、このブログどうするかまだ考えています。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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