これといった「資格」は何も持たない。普通自動車運転免許があるだけだ。そして、車はない。よって運転もしない。ないないだらけなんです(涙)
しいて27年前!に日商簿記3級に合格したことはある。しかし、合格証書ももらわなかった。これには経緯がある。
息子が幼稚園の年長さんになり、公文式に通わせながらも、私は代々木ゼミナールで国語の論文添削のアルバイトをしていた。頭を使うわりには、時給は低かった。
それで、長期戦を視野に入れて「税理士」になろう!と心の中で一念発起した。なにせ文学部出身なので、簿記のボの字もわからない。
まずは手始めに「簿記3級」を近くの経理学院で、3カ月の講座を受け始めた。週に2~3回2時間の授業、息子が幼稚園に行っている間、学生に戻ったようで楽しかった。
今でも忘れられないのは、講師の先生の「ゲーテが「複式簿記は人類が発明した最高のものの一つである」と言っています」という言葉。1講目の初っ端に聞いた。
私は、当時36歳まで生きてきて、全く知らない世界の新しい、ワクワクすることを学び始めたことに嬉しくなった。
教科書は捨ててしまったが、努力の結晶のノートは今もとっていた。初日の授業の内容を書いたノートです。6月の試験では満点で合格した。高校時代は経済学部志望だったのである。
これなら、次は2級目指して頑張ろう~!!と、夫に税理士に向けて5~6年計画で勉強を始めることを宣言したのである。
そうしたら、な、な、なんと、夫は「僕は家事は手伝えない。君にはどうしても専業主婦でいてもらいたい」と私の資格取得に猛反対した。そして、お願いもされた。
「僕が仕事は頑張るから、君は家事と子育てをしっかりやってほしい」と。決意は打ち砕かれた、それくらいの思いだった。だから、簿記3級の合格証書も取りにいかないまま・・。
夫は確かに仕事が忙しかった。夫と息子にはお弁当も持たせていた。夫は夫なりに思い描いた家庭生活があったと思う。
そして、私が仕事を持って、多分強くなると、家事は手伝わされる、口も強くなると警戒したのだろう。
優しかったが、実は亭主関白(今や死語?)でありたい「ザ・昭和」な男だったのだ。
そんなことは私は考えたこともなかったが、子どもが手を離れたら、私にも収入があってもいいじゃないかという単純な考えだった。家事の分担など考えずに、突っ走るタイプだった。
夫の仕事の忙しさの理解が足りなかったと分かり、私はそこで夫の要求を呑んでスッパリ諦めた。
「じゃ、うちは貴方が仕事で収入を得る、私は家事、子育ての役割分担制、二輪車だったら、一輪づつね。お互いの役割を頑張るってことね」
そうは言いながら、本当は密かに頑張っていたらよかったのだろう。その後、夫が過労で倒れることになるとは夢にも思わなかったあの頃だった。
密かに計画を遂行して、努力し成功して税理士になれていたら、未亡人になったあの時も、経済的な困窮の不安に怯えることもなかっただろう。
夫が亡くなってからも、勉強する機会はあった。しかし、さすがにがんの術後、後遺症を発症しながらの子育ては、子ども1人とはいえ、身体には堪えた。
精神的にも余裕がなかった。今現在だって、やろうと思えばやれないことはないかもしれない。
ただ、歳をとった。記憶力が覚束ない。体力もない。時すでに遅しである。
言い訳だが、もう楽しいことをして、美しいものを見て、過ごしていきたいのだ。
高校時代、母は言った。「薬学部に行ったら」と。当時の薬学部は4年制だった。国立はダメでも私立だったら、行けるとことはあった。
学費も出すと言ってくれた。奨学金も出る成績だから学費もそんなに心配はなかった。それが一番よかったのかもしれないと、この歳になって思うのだ。母親の示、唆有り難かったのだ。
だけど、超凡人の私は、当時は結婚して家を出ることが目標。それには仕事を続けるより、専業主婦になるのは自らの願望だったのだ。
時は日本の「高度経済成長期」。旦那さんのお給料で、スタンダードモデルの家族4人が生活していける時代の終わりかけだったのだ。
時代に流され、自分の生き方を委ねてしまったのは、今思うと残念でならない。が、所詮は「こういう生き方しかできなかった」のだ。
複合的な理由で。自分が「自立をする」という思いを貫く信念は当時の私にはなかったのだ。仕方なし。
勉強、生きていくための資格・免許は、親がまだ何でもしてくれる若い時期に、率先してやることを強くお勧めしたい!!
ギフテッドの人や類まれな美貌やイケメンに産まれた人は別だろうが、普通に生まれ普通に育ったら、何か食いっぱぐれのない資格・免許はないより、あったほうがどれだけいいことか?!
若い方が、こんなブログを読んでくださるとは思えないが、若い方々に言いたい。若いうちに苦労してでも、何でもいいから猛勉強しておくことは、後が楽です。
そんなことは、私が言うまでもなく誰もが知っていること。それに、今は時代が違ってるのだ。
時は「令和」 ごく一部を除いて、専業主婦はいなくなり、女性の社会進出も増え、結婚しても共に仕事をするのが当たり前の時代。
そして、いつからでも遅くはないのだ。健康さえ保って行ければ、勉強だってできる。起業だってできるのだ。
私の経験なんて、戯言にしか過ぎない。こんな私を反面教師としてほしい。
日本の若い世代、頑張れ~!!過去よりも未来は、必ず、ず~~っと素晴らしいのだよ!!
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