先月寒中お見舞いのハガキをいただいて、驚いてしまった奥さまにやっとハガキを書いた。
80歳代後半のお母さま、66歳の長男さんを先月亡くされて本心を聞きたいが・・
電話をしても、何と声をかけていいものか、話しが続くのかわからない。
無地のハガキにやっとのことで、今の私の心持ちとお悔みを記した。
『拝啓 本格的な寒さの日々です。先日の寒中お見舞いのお葉書には言葉を失いました。
まさかのご長男さんの逝去の報に接し、心より哀悼の意を表し、謹んでお悔み申し上げます。
定年退職されて同居なさって、わずか1年でいらしたのですね。
○○様の心中をお察しすると言葉が見つかりません。
お子さまに先立たれた悲しみはいかばかりかと想像を絶します。
ご長男さんが、お母さまの手料理を1年間食べられたことはお2人のお喜びだったことでしょう。
まだ日が浅いにも関わらず、私のような者に寒中お見舞いをいただき恐縮しております。
お力落としのことと存じますが、どうか長女さん、次男さん、お孫さんたちと乗り越えられますよう祈っております。
寒さの折、○○様も一層ご自愛されまして、お元気でいらしてください。 かしこ』
これが私が書ける精一杯だった。失礼はなかっただろうか・・
心筋梗塞とは、昨日まで普通に暮らしていた方が翌日には亡くなっているということだ。
寝ている間に発作が起こって、朝起きて来ないことで発見されることも聞く。
もしまだ名古屋で1人暮らしだったら、ひょっとしたら・・孤独死だったかもしれない。
そう思うと、お母さまの元に帰り、お母さまの手料理を1年間食べられたのはよかったのだろう。
年老いた母と息子の静かな、穏やかな会話があったに違いない。
長男さんの車で、あちこちお出かけされたのだろうか?とも考える。
いい方に考えないと、あまりにも長男さんが可哀そうではないか。
仕事ばかりをしてきて、やっと退職、これから好きなことができるという時に亡くなる・・
あんまりな惨い人生ではないかと、他家のことながら泣けてくる。
うちの夫も「くも膜下出血」の、ある意味突然死だったから、最後のお別れや感謝の言葉はない。
それがお母さまにはどうなのか、知ることはできない。
スピリチュアルに昔からハマっておられた方だから、また普通の人とは感じ方も違うのかもしれない。
突然肉親を亡くすのと、徐々に弱っていき最期のお別れと感謝も交えた言葉の交換ができるのとは大違いだ。
愛する人との死別はどちらも辛いが、突然は、身が引きちぎられる感じさえした22年前。
父とは最期にお見舞いに行けた時にお墓の話までできた。
母は認知症で全てを忘れていて、話しはできたとは思えないが。
順番は守ってくれたし、ほぼ悔いのない年齢まで生きてくれたので、喪失感は小さいかもしれない。
夫の時は、ただただ茫然自失、いまだに脳死状態の8日間が蘇る。
そして、子に先立たれる辛さは、また比較にならないものが絶対にあると思う。
どうにもならない、必ず訪れる「死別」という現実。
穏やかに「お別れ」ができることが、実は幸せなのだとわかる今日この頃。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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