本来なら「苦」になるはずの大病院を楽しみとまではいかないけど、受診できているのはMさんに会えるからです。
Mさんは、今年81歳になったリンパ浮腫の先輩。でも、蜂窩織炎も最近は起こさなくなりとってもお元気!
スムーズな診察 Mさんの眼瞼下垂の手術後の目はパッチリ!
Mさんからは、使えるようになったLINEで1週間前に「10日には元気でお会いしましょう」とありました。
ガラケーも持たなかったMさんがスマホデビューしてからもう約1年くらい、LINEの入力もサクサクできるように~。
実に前向きで、丸コロ体型、10種類くらいの薬を飲みながらも、とてもお元気なMさんに会うためにも、受診は欠かせないものです。
そして、昨年12月の受診日の2日前には、眼瞼下垂の手術をし、瞼周りの腫れと内出血が痛々しかったのでした。
私も前回は、軽い蜂窩織炎の只中に受診したので、お昼ご飯も一緒にできず帰路についたのです。
今日のMさんは、腫れも全くわからない、パッチリお目目で、まつ毛フサフサの二重まぶたになっていました。
「こんなにまつ毛が長くて、フサフサだったのねぇ」と驚くくらい、まつ毛の生え際も見えました。
やはり、眼瞼下垂の手術の効果は凄いのだと思いました。可愛くなってました、Mさん!
「可愛くなりましたよ~」「みんなに言われるけど、80歳過ぎたおばあちゃんに言われてもねぇ」とMさん。
よく1人であの瞼切開術に耐え、日帰りで、術後も1人で対応し、甘えが全くないのです。
生粋の「おひとりさま」のMさんは、持って生まれた「運」と人間性の良さを兼ね備えた、会いたくなる人なんです。
話していると、ネガティブな感じが全くなくて、とにかく明るいのです。
丸コロ体型も実は私の憧れ。女性としては魅力に欠けるペンシル型、今は洋ナシ体型の私にとっては、特にです。
診察は、私はスムーズに以前と同じお薬と弾性ストッキングの指示書を出してもらえて、今回は問題なし。
合わない主治医は4月で異動だそう。Mさんはとても喜んでいました~。
Mさんは、同年齢の120%の骨密度があるからと、骨密度をあげる薬を切られたけど、かかりつけ医でもらうと言っていました。
今日は早めに2人とも診察が終わったので、お昼ご飯を食べに食堂へ移動。
病院の待合室をサロンのようにしているけど、お年寄りになったら「あるある」なんだと実感します。
そうそう、待合に置いてあった血圧計で血圧測定したら、最高血圧92、最低血圧53、脈拍数71と超低い。時間は正確には午前11時半です。
やっぱりエブランチルの副作用で、更に血圧低下で、朝からの元気がでないのも当然だと思い知り~。
お昼ご飯時 結婚しなかった話しを聞く
お昼ご飯は、Mさんは天ぷら定食、私は海鮮のドリアに食後のコーヒーをいただきました。
Mさんは私より16歳年上ですが、見た目は5歳以上若く見えます。背筋が曲がっていないのも大きい。
右足は足首が太くなっているけど、毎月ドレナージを受けられるお元気さ。蜂窩織炎を起こさなくなりました。
Mさんに元気の秘訣を聞くと「この子宮体がんという病気をしてからよ」と。
「自分は絶対がんにはならないと思っていたけど、なってしまって、それから立ち直ってからがくよくよしても仕方ないと思ったよ。それがO型かもね」と屈託なく笑うMさん。
「がんと告知された時は頭は真っ白、気持ちは真っ暗だったけど、先生や看護師さん、職場の仲間に支えられたのよ」と。
実は私も、両親が健在だった40代前半には、「まさか自分はがんにならない」と高を括っていました。
そうして、検査にも行かず、発見が遅れたために、リンパ浮腫という後遺症をいただきました。
Mさんは平壌(ピョンヤン)から、親子3人で引き上げてきて(お父さんは戦死)、お母さんの弟(叔父さん)に最初は養われていたそう。
それがお母さんが熊本の地方で公務員の職を得てから、やっとお母さんと自分と弟さん3人で暮らせるようになったらしい。
が、その叔父さんの影響は強くて、Mさん姉弟の結婚話しにまで口出しされたのだとか。
私が「若い頃、結婚したいと思った人はいなかったのですか?」と聞いたら、
「いたよ、でも、叔父の反対で結婚できなかった」と。何故反対だったのかは今もわからないと。
「何歳ころですか?」「22~23歳くらい、まだ若かったよ」と。
「その叔父のお陰で、私も弟もついに結婚しまいまま歳とってしまったのよ、仕方ないね」
それでも、50歳代でがんに罹患しながらも、定年まで勤め上げ、その後も60代は週に数回仕事をしていたらしい。
その頃にMさんと知り合って、14年以上が過ぎました。
私が今も何とか元気でいられるのも、Mさんとの出会いが大きいと感じています。
妹や実母とは縁の薄い私ですが、K子叔母といい、Mさんといい、外縁には恵まれているようです。
Mさんのお母さんは101歳での大往生。最後まで少し物忘れ程度でシッカリされていたとか。
「姉・弟(兄弟)仲良くするように」というのが最期の言葉だったとか。立派ですね。
そんなMさんと知り合えたのも、がんになってリンパ浮腫を発症したから。
人生って何が良くて何が悪いかはわからないですね。
病気にならなかったら、人の気持ちも察することのできない、人間味のないクズだったかもしれない私。
今は自分の心磨きをして、生かされていることに感謝できるのも、艱難辛苦のお陰かもしれません。
これからも、自分の心磨きの旅は生きている限り続けたいですね、Mさんのように。
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