GWの狭間の2日に、亡夫の同級生の奥さまから、旦那さまの定年退職のご挨拶の葉書が届きました。
奥さまとは最初に派遣された職場で知り合い、その後もずっと年賀状のやり取りをしてきました。
最近では、スマホのSMSでのやり取りもする仲です。
65歳は定年退官の歳 お元気な旦那さまが羨ましい
まだ息子が産まれたての頃、お子さんのまだいない彼女と旦那さまとは同じ職場の官舎で出会いました。
思えば、細~く長~いお付き合いです。
うちはその後ダラスへ留学しましたが、彼女もその後、旦那さまと一緒にドイツに2年ほど住んでありました。
帰国後、お子さん2人に恵まれてあるので、お子さんたちはうちの息子よりかなり年下です。
旦那さまは優秀、かつ人徳もある方だったようで、私立の医科大の教授をされた後、国立大学の教授になられました。
その旦那さまが昨年度をもって65歳で、国立大学の教授を定年退官されたとのこと。
順調に出世の階段を登られて、教授にまでなられた選ばれし人。
お元気でおられて、教授にまでなられて、彼女の内助の功も大きかったのでしょう。
お子さんたちも順調に両親に見守られて育ってあります。
私にまで彼女は、旦那さまの退職とその地に残って、まだ地域医療に今後も貢献される旨の葉書をくれました。
65歳を過ぎても、免許があって、やる気があって、勤務できる場所があれば尚ずっと仕事ができます。
これからも、彼女の家庭は安定、夫婦円満でいかれることでしょう。
旦那さまがお元気だったら、こんな幸せな老後を迎えることができる夫婦もあるのだなぁと感じました。
こんな時にはやはり夫が生きていたら…と想像してしまいます
私はときたら、ただの未亡人、しかも健康体でもない。よく生き残っているという感じ。
夫が遺してくれたこのマンションとくしくも遺族労災年金はありますが。
夫の存在は、もうすでに22年近くないのです。
とにかくがむしゃらに、息子を育て上げることしか頭になかった40代。
50代を自分の身体の操縦を間違えて、不健康体への螺旋階段を転げ落ちた私。
あり得ないことだけど、「夫がいてくれたら」の想像は時々頭をよぎります。
息子もあんなに変わった子には育っていないだろう、きっと大学は東京へ行っていたはず・・とか。
夫も元気だったら、今もどこかで軽い仕事を続けているだろうし、その姿を想像します。
が、すべてはどうにもならないこと、人の生死はなんらかの摂理で決められているんだろうとしか思えません。
生きていたらすごく社会貢献ができた人が早く亡くなり、何も役に立たないお荷物が生き残ることが多いのでは?!
自分自身がそうであることを痛感しながら、「なんで私が残って、夫が先だったのか??」といまだに考えます。
それは、きっと私の「今」が「充実」に値するものだと感じていないからなのでしょう。
「今」に満足して、充実感を覚えていれば、目は「未来」しか見ないはずです。
未亡人仲間でも顕著なのは、「お孫さんができたら、過去は切り捨てられる」方がほとんどだということ。
「孫」という存在が、未来への希望へと導いてくれるかのように。
それだけではないでしょう。健康な身体も「今」の充実感には不可欠です。
未亡人になっても、ご自分は健康で、お子さんたちが結婚、お孫さんに恵まれたら、過去は清算できるのでしょうね。
しかし、いくら嘆いても、現実はなるようにしかなりません。
健康はいくら気をつけていても、シニアになれば誰もが不調を抱える時期でもあります。
私の場合は、こんな状況でもできるだけ良い方向へ向くように、努力はしていくつもりですけど。
残るのはやはり息子に希望を託すしかないのかしら。
いやいや、息子といえど期待してはいけない、人に期待をすることはよくないこと。
ただひたすら息子が幸せでいてくれたら、それでいいのだと言い聞かせる自分がいます。
夫の仏壇の写真は43歳の時のまま。若かったのだなぁ、若すぎたよ。
おじいさんとおばあさんになって、「忍耐同居」でも構わないから生きていてほしかった。
そう思ってしまった、夫の同級生の奥さまからの葉書でした。
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