夫がいなくなってから、全く無視してきた、故意に意識しないできた「父の日」。
父親が亡くなった9年前すら、全く意識していなかったのに。
今年は何故か気になるのです。息子が九州にいないからかな~。
22年前の6月18日も「父の日」でした
夫がいる頃から、敢えて意識してこなかった「母の日」、「父の日」。
「父の日」は、夫がいなくなってからの方が気になり始めました。
ですが、例年完全無視をして過ごしてきました。心の片隅に小さなチクリとした痛みは抱えながら。
なんで今年はやけに気になるのか?
それは、夫が亡くなった年2001年も6月18日が「父の日」だったから!!
もう夫は脳死状態でした。私の誕生日も近いのです。
同じ18日だったことは、この22年近くの間にあったのかもしれませんが、忙しさに紛れていたんでしょう。
今年は大人しくしている日が多いので、時間があり過ぎて思い出してしまったのかもしれません。
暇があり過ぎるのも精神衛生上よくはないこともありますね。
とにかく6月は夫の父の命日もあり、色々とあり過ぎて辛い月なのです。
夫の命日月、私の誕生月、おまけに息子にとっては辛かっただろう「父の日」までありますから。
父の生前、母から刷り込まれた父の悪口の内容を信じて、父が嫌いでした。
父の日に何かしてあげたことなど、ただの1度もなかったのでした。可愛そうだった父。
姉妹に父の悪口ばかりを吹聴していた母のほうが、実は性悪女だったのでした。
母の日にも、そんなに何もした覚えはありませんが、プレゼントしたバッグを一度も使っているのを見たことはなかった母でした。
実家も記念日をあまり意識しない家庭だったし、現実的で合理的な家庭でした。
私も自分の家庭でも忙しさにかまけて、記念日をないがしろにしていました。
「パパがいたほうがうまくいってたとは思わないようにしている」
今年は息子が東京と離れてしまったので、かえって「父の日」が気にもなってしまったのです。
忙しい息子とはなかなか電話で気軽に話せなくなったので、敢えて今朝LINEで「父の日」をどう思うか聞いてみました。
息子の答えは「父の日だからと意識したことはない」とのこと。やっぱりね、考えたくないのよね。
「経った年月とか、今でもいたらどうだろうかと考えることはある」とも。
そして涙が出たのは、「パパがいた方がうまくいってたとは思わないようにしている」と書いてたこと。
ドキッとしました。
夫は息子を溺愛していました。
遊べる時間が少なかったので、一緒にいられる時間はできるだけ一緒に行動していました。
近くの山登りに連れて行ったり、ホームセンターに遊びに行ったり、家電店に一緒に行くのが楽しみでした。
今もいてくれたら、一緒にPCのことスマホのことを話し合っていると思います。
そして息子はきっとIT系の職業に進んでいると思うのです。
息子の最後の言葉には今日、私は参りました。自分で自分を慰めているんでしょうか・・強がりかな。
「父親がいたほうがうまくいってたとは思わないようにしている」=「今がいい」ということ。
母親の私だけに育てられた今が、夫もいて育ったよりいいわけないじゃないの?!!
思春期から父親なしで育って、父親がいたら教えてもらえたことを習えていないのです。
父親がいたら、もっと伸び伸びと屈託なく、自信もありコニュニケーションも上手くなっていたかもしれません。
私に気を遣っているわけではない、そんな情緒の子ではないので安心してはいますが。
そうでも思わないと、今が幸せと思えないのかなぁ。
でも、息子は「今が幸せ」と思っていることはわかったので、それだけは息子にありがとうです。
34歳にもなり、もう自らが父親になっていてもおかしくない年齢。
そんな息子に22年も経って「父の日」のことを聞いてしまった愚母でした😭
息子が父親になり、「父の日」が喜びの日になることを痛切に願います。
ただ伴侶を見つけてもいないので、更に子どもとなるとどこか遠い目になってしまいますが。
それでも希望は失わずに生きていたら、きっといいことありますよね、夫君。
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