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息子との2日間23日編 近所の割烹料理店へ 息子の言葉に大ショック・・

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ご膳の突き出し4品

23日の午前早くの飛行機で息子が帰省し、24日の夜9時半の便で東京へ戻りました。

息子がまずやったのは、車を動かしてバッテリーを保つこと! 来年もあれに乗るのかぁ・・。

23日の夕食は私の誕生日の祝いも兼ねて、近所の割烹料理店に行きました。3年以上ぶりでした。

東京での仕事や暮らしの話しを色々と聞く 

東京の省内での仕事は、具体的にはよくわからなかったけど、随時、省内からの突然の照会・回答に対する対処(期限が短い)に追われている感じだと言いました。←意味不明

国会は6月21日で終わりましたが、また臨時国会などで、自分の管轄内の議案が降ってきたら、徹夜ででもそれに追われることになるらしい(4月がそうでした)。

そうではない、割に緩い月は基本土日は休めるようです。7月はすでに日曜出勤が決まっているとのこと。

毎日3時間以上の残業を月~金の5日、それが4週間で1か月、月に15時間×4=60 時間以上の残業は当たり前の職場です。

それに加えて、時には土日出勤もありというブラックさ。

残っている方々は、皆さん体力があり、飲み会などの宴会も好き、お酒も強い人のようだと息子は言っていました。

ブラックをブラックと捉えないで、続けられる体力と精神力のある方々しか残らないようです。

そうでない人は、辞めて転職する場合も多いそうです。

息子のように、地方から期限つきで派遣されている方も他にもいるそうでした。

3カ月でおおよその仕事の具合がわかり、課長に聞かれて、息子はやはり1年で九州に戻る旨を伝えたそうです。

母1人子1人で、母親ががんの後遺症・リンパ浮腫で苦しんでいて、いつ入院になるかわからないとも言ったそうです。

そうしたら、キャリア課長は東大出身の医師なのですんなりと理解してくださったそうです。

あとは所属の人事面談(9月頃)に、ハッキリそのことをもう一度伝えないといけないようです。

休めた土日は、銀座の奥野ビルに行ったとか。(関東の方には面白くない記事ですね)

sumauから

1932年築のアパートだったらしいけど、今は20件ほどのギャラリーやアンティークショップが入っているらしいです。築91年ってすごい!

息子の興味は手動式開閉ドアのエレベーター。 手で2回開閉して動くらしいです。レトロ感満載。

sumauから

あとは、横須賀辺りに行ったそうです。

観音崎灯台(かんのんざきとうだい)に行き、登れる灯台だったので登ったそうです。

橙光会より

日本の西洋灯台の歴史がここから始まった灯台です。東京湾の船舶が見えるそうです。

また、軍艦「三笠」を見に行ったとか。世界の三大記念艦と言われているそう。他は、イギリスの「ヴィクトリー」、アメリカの「コンスティチューション」。

出典:写真AC RERE0204さん

明治の歴史をもっと勉強して見に行くと、とても面白いのでしょう。日本史忘れています・・息子は近現代史は好きみたいです。

また、三笠公園には軍艦「三笠」の前に建つ東郷平八郎像他、「皇国興廃在此一戦」碑(こうこくこうはいざいこのいっせん)の写真も息子は収めてきていました。

「日本の魅力を再発見」より

「この一戦が日本の興廃にかかっている」という、ものすごく重要な海戦の陣頭指揮をとったのが東郷平八郎提督なのだと知った次第。

近くに歴史の遺産が多く残っている関東圏は、見学して歩くには面白い場所ですね。

息子はあとは、日光と伊豆に行きたいと言っていました。伊豆は1泊いりますね。

福岡だけに居ては、到底見られない場所。ああ、私も屈強な体力・健脚があったらなぁと思いました。

夕食は私の誕生日も兼ねて近くの割烹料理店へ 息子の言葉に愕然

1人前3000円のご膳に追加で息子に「トリモモのワサビ焼き」を注文しました。

冒頭の写真はご膳の前に出る「突き出し」。小さいお皿に綺麗に並べられて、紫陽花のあしらい。

*じゅんさい・梅干し *ツルムラサキのお浸し *枝豆豆腐・イクラ *山芋おろし

それから、このご膳です。あとにはデザートもついています。九州ならではのお値段でしょう。

*刺身(イカ・タイ・イサキ・マグロ・カンパチ少量づつ)*イサキの酢の物・ミョウガ*天ぷら(エビ・玉ねぎ・ナス・カボチャ・マメ・サツマイモ)*肉じゃが*茶碗蒸し*ワカメと厚揚げの味噌汁*お漬物*ご飯(お代わり自由)

追加の「トリモモのワサビ焼き」870円なり。2人分で消費税込み7557円でした。

デザートに抹茶アイスあんこのモナカでした。息子は左利きです。

お客さんは、金曜日の夜にも関わらず、とても少なかったです。皆さんまだ外食はしないのかな。

お酒を飲まないので、私たちは「いい客」ではないので申し訳なかったです。

個室を用意していただいて、親子2人での夕食は久しぶりに3年以上前に常連だったところで、一応私の誕生日祝いでした。

息子がこんなことを言いました。

「もうお母さんの歳になったら、誕生日がめでたいとは言えない気がするね。またひとつ歳をとってしまった感があるよね」と。

「自分でも35歳になるのに、本当にめでたいのかわからないもん。生まれて30歳くらいまではめでたい気がする。そして、もう90歳くらいになったら、あとはいくつまで生きれるか、逆にめでたさが出る気がするよ」とも。

息子独自の意見ですが、まあねぇ、確かにこの歳になってお祝いするのも変といえば変なのかもしれません。

これで私は息子が人生に対してあまりポジティブではないことがわかり、言葉に詰まりました。

「確かに祝える年齢でもない、宙ぶらりんな歳だよね」と私。

東京のFちゃん一家は、家族3人で古稀のお祝いにすごく美味しい焼肉屋さんに行ったらしいです。

やはり息子は、父親がいない、母は病気がちで、自分も仕事は辛い、「人生に明るさを見出していない」ことがわかり、辛くなりました

母親としては、できることを一生懸命やってきたつもりだけど、息子の「気を上げる」ことは出来ていないことに少し落胆した日でもありました

どうしたら息子に「希望」を与えられるのか? 私にはわからなくなりました。

私が「超元気」になることかしら? 今の職場が忙しすぎるからもあるでしょう。

父親の不在と複合的な要因がここまであの天真爛漫だった息子を変えてしまったことに愕然として、暗い気持ちになりました

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