コロナ禍以前は、1年に2回くらいはランチを一緒していた友人と4年以上ぶりにランチしてきました。
控えめで、旦那さんの許しがないと行動できないOt(66歳)さんからは、お誘いはないと思い、私が思い切って誘いました。
旦那さんがOKを出してくれて、ランチができることに。しかし、ほんの束の間の時間でした。
久々にランチを楽しむが、旦那さんの話しで・・
午前11時半に一番大きな駅のデパート入口で待ち合わせ。私は朝食抜きです・・、生活時間帯がズレているから😅
プロテインだけ飲んで出かけました。朝が早い彼女は、すでにデパ地下の総菜コーナーを見てきたとのこと。
とにかく朝が早く、夜も早いのです。それは、旦那さんの生活ペースに彼女が合わせているから。
主従関係のご夫婦です。地方公務員で偉い役職までいかれた旦那さんは、延長在職時に軽い脳梗塞になられていましたが、早かったので不自由なく回復。
その後、運転中に車でガードレールにぶつかり、硬膜下血腫で入院されたりしていました。
そこまでは、コロナ禍以前に聞いていたのですが、今回はコロナ禍に家でお酒を飲んでいて、倒れてしまって「硬膜外血腫」と診断されたんだそうです。
それでも、彼女がついているので、なんとか数回の血液を取り除く処置をして、お元気になられたそう。
脳梗塞の「血液サラサラ」の薬が今度はいけないことになったのだそうです。
彼女は旦那さんのことでは、かなり苦労が絶えないようで、少しほっそりしていました。
お子さんのいないご夫婦だけの、ずっと専業主婦だった彼女。30代後半にテニスで知り合ってから25年近くです。
旦那さんはお酒が何より好きで、今日聞いたら更に生活時間帯が早くなり、どうもメチャクチャっぽい印象でした。
お昼の2時くらいから飲み始めることもあるそう。2時間くらいかけて食事が終わると、午後5時~6時には寝てしまうらしい旦那さん。
朝が早いはずです。彼女もそれに合わせようとすると疲れると言っていました。
若い頃は服のパタンナーの仕事をしていた彼女は、知り合った頃は、お洒落が上手で、センスがよくて、いつもキラキラ輝いていました。
それが、旦那さんのことで今は苦労が絶えず、自分もギックリ腰になったり、膝を傷めて整形外科通いをしているそう。
私が誘ったことで、久々に「気分転換できる、嬉しかった」と言ってくれました。
貞淑すぎる、真面目過ぎるために負うストレスもある
旦那さんが家で待ってあるので、午後2時過ぎには別れて、彼女はデパ地下でお酒のおつまみ料理を買って帰るそう。
昔から、まるで「家政婦」みたいな彼女の旦那さんに服従の暮らしに驚きを隠せなかったワタクシ。
更に酷くなっていたことに、今日は大きな病気もなく何不自由ない暮らしの彼女が実は精神的には酷く「苦労」していることを知り、胸が痛かった。
彼女は代々お父さんまで医者家系の三姉妹の長女さん。お父さんは皮膚科の開業医で、肝臓病で、彼女が21歳の時に亡くなられた。
そのお父さんの躾は厳しく、しかし正しく、彼女は本当に可愛いお嬢さまに育ちあがっていたのでした。
お父さんの遺言は「娘たち3人は、絶対医者とは結婚させるな、相手は公務員がいい」だったらしい。医者の裏側の辛く、悪いところを見てきた方の、娘たちを守りたい一心のお言葉。
彼女は、お母さんのお膳立てで、お見合いで今の旦那さん(地方公務員)と結婚と相成ったわけです。
妹さんも公務員と結婚されて、息子さん2人が結婚し孫もいるのだそう。妹さんのお孫さんの写真を見せてくれました。
「私たちも孫がいてもおかしくない年齢よね。アウルさんは息子さんがいるから、そのうちね」と彼女。
私のことはいいとしても、彼女の旦那さんには呆れさせられた。
家ではすぐキレるらしいのである。何か気にいらないことがあると、言葉が暴言になるのだそう。口は達者らしい。
幸い暴力はなさそうだけど、暴言に言い返せなくて喧嘩にはならず、ストレスを溜めてしまう彼女は、時々胃も痛むと言ってました。
私のような未亡人は、「旦那さんがいてくれたらどんなにいいだろうか」と思うばかりだけど、それは単純すぎるようだ。
「穏やかで、常識的で、束縛しない、お互いを尊重できる旦那さん」であり、奥さんであるならいてほしいというのが本音かな。
彼女の旦那さんは齢70歳を超えられたそうだけど、人格ができて老成しているとは言い難いお方。
一緒に2人で暮らすには、非常に困難な方と言わざるを得ない。
私は早くに夫を亡くして、「こんなに辛いことはない」と思っていた時期が長かったけど、歳を重ねるとそうでもないのだ。
「また、ランチしましょう」と言うことでしか、彼女を助けられないのが辛いです。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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