昨日、「NHK MUSIC SPECIAL竹内まりや Music&Life~人生の扉~」の再放送の録画を見た。
まず、「わぁ~、私は彼女の歌と共に生きてきたんだな~」と思った。
69歳の竹内まりやさんは、見た目が「若い」!!
とても69歳には見えない。スタイルも維持、スレンダーで美しかった。
私より3歳上で、あのように美しく歳を重ねられていることにビックリした。
やはり人に見られる仕事をしている方たちの手入れの行き届き方は凄い。
元がいいからもあるけど、維持には相当の努力とお金がかかるだろう。
まず、見た目に驚き、そして彼女の生家の旅館「竹野屋」に行ったことも思い出した。
息子が大学生になった翌年に、一緒に付いてきてもらった。
リンパ浮腫は発症していたが、まだ軽く、確か温泉にも入った記憶がある。
旅館の隅の方に、まりやさんのグッズが少しだけ置いてあって、何かを買った。
そして、今は大後悔しているのだが、息子と一緒に出雲大社にお参りに行ったのだ。
息子の良縁を勿論私は願ったのだが・・・
どうも息子と私が離れられない縁で繋がったかのような現在、非常に後悔している。
息子は彼女と一緒に、私は1人旅をするべきだった。
それはさておき、まりやさんは高校時代の恩師との出会いが運命を決めたということがわかった。
17歳の時に、担任だった数学の先生から英語が得意だったまりやさんはアメリカ留学に推薦されたのだ。
その時の先生も出演されていたが、長いこと文通もされていたようだ。
その留学が切っ掛けで楽器演奏、歌うようになり、音楽家としての道が決まったのだ。
才能と「好き」が開花して、その後も長いシンガーソングライターの道を歩んでいるまりやさん。
私は若い頃の曲と夫を亡くしてからの曲を主に聴いてきた。
その途中は子育てで、途切れている部分もある。
マツコ・デラックスが竹内さんの歌のことを企みのある女性の歌詞のような言い方をしていたのが的を射ていておかしかった。
若い頃から今まで、その時々に女性に共感させるような歌を歌い続けている彼女はやはり素晴らしい。
カラオケで歌ったことのある歌もまりやさんの歌は多かった。
特に好きな歌は、歳をとってからのベタだが、「人生の扉」。
未亡人友に紹介された「返信」も聴いたら涙が出て困った。(「出口のない海」の主題歌)
未亡人友たちの旦那さんたちも「特攻隊」のようにがむしゃらに働き倒れた方が多かった。
若い頃は恋の歌、そして人生に寄り添うようにその時々の歌に感激してきた。
3年前に97歳で亡くなられたまりやさんのお父さまが「『人生の扉』はいい曲だね」と仰っていたという。
きっとお母さまは今も存命のはず。
あんな孝行娘を持って、お父さまもお幸せだったことだろう。
最後に、担任だった先生がまりやさんに「立派になったね。お父さんとお母さんがよかったんだね」と仰った。
まりやさんも泣いて、先生も泣かれていた。
私も何故か泣いた。
やはり父母の子育て、家庭運営というのは、子たちに与える影響は甚大なのだ。
いいご両親に、そして、高校の恩師に出会えたまりやさんだから、多くの人を鼓舞できる歌を作れたのだ。
親はただ早く産まれただけだけど、その責任は大きい。
自分の父母を思うと、なかなかに情けない。
躾もできない人たちが親になった。
躾のされていない姉妹が育った。
必死にもがいて、普通の家庭を作りたかった。
それも、私は途中で空中分解。妹は結婚しても、親になることを避けた。
私は親になったが、躾はしても大事なことを忘れてはいなかったか。
親として、全く自信はない。
息子第一のはずが、自分よがりになってはいなかったか・・・
息子に申し訳ないと思う今。
だからこそ、まりやさんのこれまでの軌跡の番組を見て、私なりに泣いたのだ。
お父さんとお母さんがよかった・・そう言われる親になりたかった。
竹内まりやさんからは、こんなことまで勉強させていただいた。
これからも彼女の曲は聞き逃せないと思った。
来年の春は九州まで来てくれる。
ライブに行けたらいいなぁ、行きたい、健康でいたいな。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝ですm(__)m
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