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息子帰省 腹痛の身体にムチ打って・・

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この三連休の土日と、息子が帰省した。

前日に私がお腹の不調が続いていることは伝えた。

「ご飯作れないかもしれない」と言うと、

「いいよ、その時は何か買いに行くから」と平然と言う息子。

普通食が食べられないかもしれない私の心配はなし。

まあ、ブーメラン効果で、私自身が息子をそういうニンゲンに

育てたのだ。

これは疲れる2日間になると覚悟はしていた。

元気だったら、一緒にモールの中の電気店にLED電球を買いに

出かけたり、外食したりしたかった。

けど、初日は洗濯だけして、お昼ご飯後少し話しをした。

仕事の話しを聞くと、まあ、彼なりに頑張っているようで安心。

趣味の古~いカメラなどを持って来てみせてくれた。

昭和の時代のキャノンの焦点を自分で合わせるカメラ。

いわゆる、今ではゴミくず。もちろんフィルムがあれば写るみたいだが、

現像代が今は高いのではないか。安いモノ集めは息子の趣味。

あんまりいい趣味ではないなぁ。モノ集めをする男子は多いが、

それはやはり寂しいからなのだろうかとも考えた。

次第にお腹がシクシクし始め、ベッドで横になった。

栄養がとれていないせいか、脚の浮腫みも酷かった。

そして、夕飯の支度に起きてきた頃が一番辛かった。微熱、倦怠感。

21日の夕ご飯

*いつもの鍋(野菜たくさん、キノコたくさん、タラ、秋鮭、豆腐)、カットトマト、トリムネのトリハム・リーフ、もち麦ご飯、リンゴ(息子の量)

私は野菜はクタクタになるまで煮て、そこに魚と豆腐を入れた鍋。

それにご飯とリンゴだけを食べた、なんとか食べた。

皿洗いは食洗器と思ったが、息子がサッと洗ってくれた。

そうか、彼は料理以外の家事は一通りできるんだ、よかった。

翌日はまた朝から排便があり、その後またお腹がシクシクする。

原因は何だろうと息子に聞いてみたが、「ウイルス性胃腸炎かなぁ」と。

でももう2週間近いのだよね。

午前中、またベッドで横になっていた。

息子はその間天気も悪いし、自室の夫の遺したパソコン周辺機器

をいじったり、昔のフロッピーディスクの整理をしていた。

昼食後も排便があった。その後もお腹は鈍く痛いが、寝ているよりは

動いたほうがいいと判断して、キッチンで茹で物をしたり、また夕食の

トリハムを作ったりした。ほぼ、献立を考えたくない倦怠感。

でも、土曜日より、動いたせいか息子と話しもできた。

「ほぼ日手帳2025」を注文していたことを忘れていた私は

宅配のお兄さんに、「これは何ですか?」と聞いてしまった。

息子は呆れたように、しかし、笑った。私もつられて笑った。

これが、1人より2人でいる楽しさなんだよね、一緒に笑える!

「自分で注文しておいて、宅配のお兄さんに『何でしょうか?』と

聞くオオボケを発して、あちらは『知らんがな』だろうね」と

我ながら久々に大笑いをした。

そうだよね、「あなたが頼んだものを届けただけです」だろうね、

宅配のお兄さんの言葉が想像できた。

ああ、来年も生きているつもりなんだなと我ながらしみじみした。

22日の夕飯は冒頭の写真、渾身の力で息子に提供した。

代わりばえ全くなし。。。

*いつもの鍋(野菜・キノコたくさん、秋鮭、タラ(小)、豆腐)、ごま豆腐、枝豆、トリハム・リーフ、もち麦ご飯、リンゴ(息子の量)

私は昨日はだし汁に消化のよい野菜だけ入れて、ご飯もその中に

入れてお粥にした。それを息子に教えた。

息子はお粥の作り方すら知らなかった。唖然として、焦った。

私は結局魚・豆腐入りの雑炊(お粥)とトリハム2切、枝豆少し

を食べた。なんとかここまで食べられた。

息子に6日の婦人科外来でもらった骨粗鬆症薬ビビアントの

ことを調べてもらった。

ちょうど、その薬を飲み始めた時期とお腹が痛み始め、軟便に

なってきた時期が重なるのだ。

ビビアント

最後のところの副作用に1~5%に「腹痛・口渇」があった。

どちらも、すごく当てはまっている。

だから、息子は「明日からビビアントを休薬してみたら」と言った。

「そして様子見して、それでも治らなければ病院にいくしかない」と。

そして、夜8時半過ぎに、生協の冷凍品や私が作った冷凍を

たくさん保冷バッグに詰めて、車で帰って行った。

そのテールランプを見ながら、涙が出た。別れはとんでもなく

寂しかった。

今日はビビアントを朝飲まなかったせいか? 腹痛はない!!

息子が戻った安心感か? 薬の副作用かはまだ?だなぁ。

拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝ですm(__)m

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