人は「ないものねだり」をしたくなる
先日、20年近く前に私の掲示板で知り合い、会いにきてくれた子宮がんのお友達、Oさんのことを書きました。
彼女からは、4月から長男さんご夫婦と一軒家で同居され、「家政婦のようだ」と電話があったばかり。
リベシティの動画と、手作り作品を売るっことで、自分のお金を作ることはどうかと勧めていました。
が、お嫁さんが午前中仕事に出るようになり、下のお孫さんの世話が今あるのだそうでした。
だから、積極的にお金云々のことは考えられず、来年からは65歳(私と同じ)で少ないけど老齢基礎年金が出るからと。
それはそれで、家政婦のようだけど、実はお孫さんと関われる時間なんてあっという間、大切な時間とも思えます。
何より、いまどき3世代同居できるなんて、それだけでも客観的にみたら幸せそうですけど。
そうはいかないのが、人間の欲の深さなんでしょうね。
「自分の自由時間が少ない」「孫なんて可愛くない、お世話なんかしたくない」
実際、私も彼女の立場になったら、そう思ってしまうのかもしれません。
Oさんは、息子さんたち2人がすんなりと結婚もして、長男さんにはお孫さん2人、次男さんも家を建てたんです。
そして、あの頃は度々起こしていた「蜂窩織炎」を今はもう起こさない元気も取り戻しました。
血液検査でもどこも悪くないそうです。
離婚してからの、Oさんの散々な苦労が報われているように、私には思えるのです。
一方、私は今も蜂窩織炎に怖れをなし、息子は結婚の気配もなく、孫なんて考えられもしません。
経済的には夫の労災遺族年金がありますから、普通の遺族年金より少し恵まれてはいます。
でも、家にお金がかかったり、1人暮らしの不安はいつもつきまといます。
それでも、やっぱり、今は1人の「自由」のほうがいいのでしょうか?
私もこんな後遺症を抱えていなかったら、1人暮らしももっとず~っと楽しめているでしょう。
ちょっと遠出の旅行をしたり、近場の温泉に行ったりと。車も買って、自ら運転もして。
でも、それが全部NGな身体なのです。脆弱すぎるDNAしか与えられていません😭
「すべてが上手くいく」なんて、人生にあるのでしょうか? ほぼ、「ない」と思います。
人間は、動物ですから「繁殖」が目的で生存している部分が大きいです。
つまり「繁殖」がなければ「生存」の意味が小さくなるのではと、生物としては考えられます。
人間の場合、「繁殖」=「子孫繁栄」ということですね。
冷静に考えると、Oさんはちゃんと「人間的生き方」をしている一族と言えるんです。
単純に、私は女性として、母親として、当たり前のようにお孫さんがおられる方が羨ましいです。
きっと、自然にそうなった方たちは、それを幸せとは思わず、当然としか受け止めておられないのでは。
が、孫がいるから「幸せ」とは、一概には言えません、とおっしゃる方もおられるかしら?
孫のお守りや、孫の教育費まで、みておられるシニアの話しも聞きますから。
でも、普通は「孫の誕生」で、過去のことなど捨て去れる方も知っています。
「もう、未来にしか目が行かなくなった」と言った未亡人仲間もいます。
ケースバイケースで、そこの辺りは、私には本当に分からない分野になっています😅
とかく人は「自分にないものをほしがる」「ないものねだり」をしたがるのは、欲のせいですね。
今、ここにある、ささやかな幸せを感じられる、満足する力を持つ
今朝は、梅雨のような雨でしたが、お昼過ぎからは真夏を思わせる日照りです。
雨の少なかった九州北部は恵みの雨だったかもしれません。
しかし、その後の陽ざしの強さに、亜熱帯を感じずにはいられません。
そんな時は、「幸せ探し」をします!
こんな暑い午後はエアコンを効かせて涼しくいられます。
これだって、よく考えたら守られていますよね。いろんな方々の日々のお仕事で。
1人暮らしの淋しさも、自分で工夫して、なんとかやりくりしています。
蜂窩織炎を起こしても、抗菌剤と安静が保てる状況を作りました。
生協で、食材はじめ日用品が宅配されてきます。注文書はちゃんと書きますが。
気を紛らわすために、色々とどうでもいいことまでやっています🤣
料理も自分でできるまでに回復しました。少しですが、息子の分まで今は作れるようになりました。
植物もベランダに5鉢と観葉植物モンステラの成長も楽しみです。
でも、散歩以外、中々遠出はできませんし、海外旅行は夢のまた夢。
健康な方からみたら、なんてQOLの低い「可哀そうな」生活と思われるかもしれません。
そんな、つまらなさそうな日常の繰り返しですが、それが「幸せ」なんだと気づく日々です。
「何にもいいことはなかったけど、今日も無事1日が終わりました」とご先祖さまと夫に報告して、寝ます。
(こんな私でも、施設にいる実母の長生きは願っているのです)
きっと、これを読んでくださる、数少ない方々も、日々小さな「幸せ」がそこにありますよね!
私なんかより、ずっと行動範囲が広くて、仕事が面白かったり、お孫さんもいらしたりして。
そんなごく当たり前と思えることに「ささやかな、小さな幸せ」を感じられたら、満足ではないでしょうか。
変化のない日々にも、何か心躍る瞬間がどなたにもあるはず。
それをとらえて、「自分の幸福」にカウントする練習をすれば、満足の得られる人生に自ら変えることができると思います。
幸福になるのも、「満足する練習」がいるのかもしれません。
お読みいただき有り難うございます。アイコンをクリックいただけますと幸いですm(__)m
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