「ah―面白かった」を残して、アッサリと引退 カッコよすぎる
ひと回り年上の、まさに団塊の世代の吉田拓郎さん。76歳。
あまりにも潔い引退ではないですか?!
最後のTV番組は見るのを忘れてしまった😭のだけど、kinki kidsの2人と出演だったみたい。
「LOVE LOVE あいしてる 吉田拓郎 卒業スペシャル」
2003年に肺がんに罹患され、肺の3分の1を切除しておられたけど、がんから生還されています。
しかし、数年前には喉にもがんを発症されていたことを最近知りました。
歌手が「喉のがん」というのは、「歌えない」と同じことかと落胆されたと思うのです。
拓郎さんは若い頃からのお酒、タバコの影響もあるかもしれないなと勝手に考えてしまいました。
それが、昭和のあの頃の一種のカッコよさ、「無頼漢」というか、そんなイメージを作ってました。
そこに惹かれたファンも当時は多かったのではないかな。
私が中学生の頃、7歳年上のお姉さんのいる友人からの影響で、拓郎さんの曲を知ったのが聴くきっかけです。
ボブ・ディランを祖とし、日本にフォークを流行らせ、男性のロン毛、結婚式のあり方まで影響を与えた人。
訳がわからないまま、メロディーだけを口ずさんでいて、結婚するくらいまでよく聴きました。
頑なにTV出演を断っていた拓郎さんが、突然TV出演し始めた時はがっかりしたり。
しかし、kinki kidsとの若さとのコラボで、また歌がブレイクして、復活されたりしましたね。
今日生協で頼んでおいた、拓郎さんのラストアルバム「ah-面白かった」を早速聴いたので書いています。
やはり往年のシャウトするような音声ではなく、声が変わったかな?と思わせる音質とやや静かな歌声。
最後の「ah-面白かった」も静かな歌声と歌詞。でも、全部の曲に愛が詰まっている感じがしました。
これが拓郎さんの最後の歌声と思うと、カバーの写真も少し若い拓郎さん、買ってよかったと思いました。
人との心の出逢いに「面白かった」と歌い上げてあったので、これまで愛した女性たち、友人のことかと思いました。
が、その後にある歌の解説のところに「お母さん」のことがありました。
本当のことはわかるすべもありませんが、拓郎さんもシニアになられて、思うのは亡きお母さんのことなのかと。
そう思うと、世の中の男性にとって、母親とは「ウザいけど、哀しい、恋しい」存在になる可能性もあるのでしょうか。
若き日、感動した拓郎さんの曲3選
精神的には早熟だったのかもしれませんが、当時は歌詞の意味もわからないまま聴いていました。
今はシニアになり、彼の曲がいっそう胸に沁みるときがあります。
もっとたくさん好きな曲ありますが、どうしてもの3曲に絞ります。
1. 洛陽
2. 人生を語らず
3. 祭りのあと
1. 「洛陽」
この無情感が、若いころから好きでした。
作詞は岡本おさみさんなんですね。当時の最強コンビだったのでしょうか。
「女や酒よりサイコロ好き」とか「あの爺さん」とか出てきますが、日本の昭和を感じます。
「男の話しを聞かせてよ」とかも、これは男性向けの歌なんですね。
「サイコロふたつ、手の中で振れば、また振り出しに戻るたびに、陽は沈んでいく」
若かった拓郎さんが、こういう歌詞をあのメロディにして歌える、常人ではない感性です。
歳を重ねたら、やっとわかってくる人も多い中、まだ20~30代前半での曲ではなかったか。
哀愁のあるギターの音色と、ドラムの音。
これが、拓郎さんの生の途中で見つけた「人生の結論」のように思えます。
2. 「人生を語らず」
これを最初聴いたときは、衝撃を受けました。歌う時の、あのシャウトする感じ、拓郎節。
還暦過ぎた今思うのは、やはりこれを、彼が若いころ作っているところ。
改めて、拓郎さんの歌の素晴らしさを感じます。他のアーティストには作れない曲。
彼の中のsomething、「哲学」があります。簡単に書ける詩ではありません。
「あの人のための自分などと言わず、あの人のために去り行くことだ」も普通は言えない。
それにメロディをつけて、自らマイクに顔を近づけて歌うあの迫力。
何回聴いても飽きません。
「人生を語らず」に去ってい行くのかと思いきや~
彼は「洛陽」で、すでに彼なりに人生を語っていると思うのは私だけでしょうか。。
3. 「祭りのあと」
この曲も、男性目線で歌詞が書かれていて、今の時代にはそぐいません。
作詞は岡本おさみさんだったのですね。
学生運動の後にかかれた曲としては、知らない世代の人間だけど納得します。
どんな「祭りのあと」も、ただ淋しいだけに決まってるのに、こんな歌詞をメロディに。
「死んでしまうに早すぎる、もう笑おう、笑ってしまおう、昨日の夢は冗談だったんだと」
「もう恨むまい、もう恨むのはよそう、今宵の酒に酔いしれて」などは、もう男性。
私は女性性が少なくて、若いころから男性的感覚が多分にあったのかもしれません。
祭りのあとの寂寥感を、こんなにも泥臭く、悲しく歌い上げている彼の感性が私は好きです。
まだまだ私には、拓郎さんの魅力は語りつくせるものではありません。
もう、こんな歌を歌う人は現れないでしょうね。
ただこれからもっとずっと時が経てば、彼の歌も今の「演歌」の域になっていくのでしょう。
「歌は世につれ、世は歌につれ」と言った昭和の名司会者さんの顔も浮かぶ世代です。
実生活では彼も病を得て、自らが変わったことを意識されたことでしょう。
自らも、「洛陽」の「あの爺さん」になったことを感じられたのでしょうか。
以前に、TVで聞いた彼が語っていたエピソードに面白いものがありました。
「昔は酒やタバコで遊んでばかりだった俺が、最近は台風がくると聞いたら、庭の木を縄でくくってるんだよ」
なんと歳をとられて、病気もされて、綺麗な奥様もいらして、それを「守る男」になったと。
やはり年齢は、歳月は人をアメーバ(福島瑞穂さんのお言葉)のように変えていきますね。
きっと、喉のがんで以前のように歌うことができなくなったと思われての「引退」の決断。
ah-面白かった、と言って逝ける人生にしたいけど、中々そうはいかない。
なんて潔いのでしょうか。拓郎さんの生きざますらカッコいいと思いませんか。
もったいない引退ですけど、彼が健康を取り戻されて、奥様と共に長生きされることを祈ります。
拓郎さん、素晴らしい歌を、有り難うございました。
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