平日の搬出が終わり、渋滞に巻き込まれながら息子が引き上げてきました、3月20日。
食事だけはと思い張り切った私。朝とお昼はワンパターンのものでしたが、夕食は頑張りました。
昨日は、いよいよ息子が首都東京へ飛び立ってしまいました。
脚に問題のない方には大げさですが、飛べないフクロウは遠く、遠く感じるのです。
楽しかった2人での夕食ができた2日間
搬出を終えてうちに戻ったのが20日の午後8時、渋滞で少し遅れて、疲れただろうと思いました。
精一杯の夕ご飯の量を出しました。「ああ、お疲れさま、1人でよくやった、残業もありながらねぇ」
これはまだ忙しさの序章で、今後は搬入、片づけ、仕事の引継ぎに、各種変更届け出、息つく暇もないでしょう。
だからこちらでできる、せめてものオカンの夕ご飯 (20日)
*ゴーヤーチャンプルー(冷凍ゴーヤを使って)、トマト・スプラウト、カンパチ刺身、きんぴらゴボウ(買った総菜)、野菜とキノコの味噌汁、玄米入りご飯
(21日・春分の日)
*牛肉とミニ厚揚げのすき焼き風、トマト・茹でキャベツにおかか、キュウリの酢の物、帆立の刺身、卵焼き、野菜とキノコの味噌汁、玄米入りご飯
お昼を重くして、夕ご飯は軽くが健康にはいいのだけど、私は夕ご飯を頑張る習慣がついてしまっています。
これでもかという量の夕ご飯になりました。
もう少し肥ってほしいのですが、東京では痩せるのが目に見えています、可哀そうで・・・
いつもは中々この量を食べないせいか、息子は喜んで食べてくれました。
私は息子の量の半分以下しか入りませんが、いつのも個食に比べたら充実しています。
たわいもないことを話しながらの、仲良し母・息子は少しだけゆったりと時間を過ごしました。
21日には息子は行きつけの散髪屋さんで散髪もしてきました。
あちらではどうするか考えないと・・今は床屋さんではなく、美容院でカットしてもらっています。
色んなことが心配で仕方ないオカンです。心配し過ぎと友人には言われました😔
いよいよ22日は福岡空港へ見送りに 寂しさと心配と
空港まで行くなんて、私はもう何年ぶりでしょうか。
最後の旅行は国内の新幹線でしたから・・、空港を使ったのは香港に息子と行った50歳くらい??
もうパスポートの期限も切れて、更新もしていません。
飛行機に今後は乗る予定もありませんから。海外へも行かなくていいんです。
息子は早めにリュック1つで、JALのファーストクラスのラウンジへ入りました。
「無事着いて、鍵を受け取ったらLINEをしてね!」と私は念を押して。
絶対に今後はファーストクラスなんかでは移動できないと思ったらしい息子の初めての体験だったようです。
私はそんな経験はありませんし、今後したいとも思いませんし、できませんが、それでいいんです。
息子の出発便をデッキで見送るまで、遅い昼食を1人で食べました。
やけ酒なのか昼間なのにビールを飲みたい気分に。普段は絶対飲まないのですが。
お寿司5貫にもろきゅうとビールですから、まるで「おじさん」のチョイスでしょう。
私はやはり好みが「おじさん」と化しているようです(≧∀≦)ゞ
カレーやハンバーグ、スパゲッティは好きではなくなりました。若い頃の食べ過ぎで飽きました。
出発時間に近くなり、福岡空港の4階の展望デッキに行きました。
飛行機が小さくなるまで見送って、トボトボと帰宅しました。3月なのに蒸し暑いほどの陽気でした。
空港も地下鉄車内も、もうコロナ禍前の賑わいに戻ったかのような人の多さでした。
一方、あとでJALのHPで調べたら、ファーストクラスでは、こんな感じのシートに機内食が出たもようです。
それなりの機内食が出て、ホッとしました。
それから、予定時刻に飛行機は到着したらしく、鍵も受け取れて、カプセルホテルに入ったとLINEがありました。
夜は何を食べたか、今日は搬入、どうも東京も雨の模様、心配ですが、もう私にできることは何もありません。
一気に風が通り抜けたような寂しさが込み上げてきました。
連絡ツールは今は色々あるし、何もない田舎に行ったわけでもないし・・・
心配しすぎても自分が苦しいだけなのですが、これまで母1人子1人で頑張って来た絆は他の親子さんより強いと思うのです。
が、お互いに「親離れ」「子離れ」の試練の時だと思い直しています。
私は自分の持ち時間を楽しまないと残念なことは痛感しています。
息子も何とかこの1年を乗り切って、元気で帰って来ることを祈るような気持ちです。
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