未亡人で病気持ちでもおひとりさまを楽しく生きる!

11月 大手術の日から23年 元気とは言い難いが生きている

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今日はなんという素晴らしいお天気のいい日和なんだろう。

11月はもっと肌寒くて、暗いイメージだったけど、温暖化で昼間はまだ9月下旬の陽気。

なんと今日は薄い掛布団と綿毛布を外に干せました。干す時は汗をかくような陽射し。

去年も書いたのだけど、11月1日はボケない限り絶対に忘れられない子宮頚がんの大手術の日。

あの頃は、23年後なんて想像もできませんでした。1人で布団を干してるなんてね。

後遺症を発症してからも18年、合併症とは縁が切れなくなったけど、こうして生きています。

ブログなんか書いたりして、当時を思い出すことが多くなりました。

まだ夫もいて、色々と心配してくれたりしていた時期。

夫は私が入院する前には「悪夢」を見て、夜中に顔を壁にぶつけ、あざができたことがありました。

入院に必要なものを買いに行く前日だったので、急遽、妹が代わりに行ってくれました。

私のがんが、早期とは言えないステージだったし、当時は大きな開腹手術、再発の心配もしていたのです。

それが夫のストレスの一つ、また、手伝いに来てくれていた私の実母にも気を遣いストレスが・・

そして、夫には不本意な戸建てからマンションへの引っ越し、引っ越しはストレスが大きいのです。

でも、「普通の生活ができない」と医師に言われた私には、引っ越ししか選択肢がなかったのでした。

それも便利なマンションへ・・、夫と息子は戸建てが好きだったのに、私の病気のせいでした。

そこに常態化した仕事の多さに、4月から増えた外来の時間、なにもかもが一遍に夫を押し潰しました。

まさか!と思えた夫のあまりにもあっけない死に、今も考えると可哀そうで胸が苦しくなります。

「なんで私ではなく夫が・・」そればかりしか考えられなかった当時。

しかし、残酷なことに神さまは私には、苦しみながらの「生」を与えられました。

人生の後半がこんなことになるとは、若い頃はまーったく考えもしない能天気なバカ女でした。

私の場合、人生80年としたら、もうすでに後半も25年が過ぎている!

残り15年があるのか、ないのか、それは私にもわからない。

ただ、生かされているから、もがきながらも一生懸命生きているだけ。

戦争では今日も誰かが命を落としています。

今日亡くなる人もいます。

誰がどう順番を決められたのか、決まっているのかわからないけど、必ず自分の順番も来る。

シニアになってから、それが父母たちの他界とともに、すっくと現実に感じられます。

いつかはくるその時までは、なるべく元気な時間が多くて、美味しく食事ができて、楽しい時間を過ごせたらいいな~。

私だって、人並みの楽しいことをしたいけど、それが制限されるのならもう諦めます。

諦める=明らかに見極める、とも言えます。

半径1~1.5キロの範囲内で生きろと言われたような気がしています。

間違っても東京に行かなくてよかった、というより行けなかった。

この小さな小さな生活範囲の中で、ささやかな、ごく小さな喜びを見つける努力をしなさいってこと。

それが23年前に大手術を受けて、助かった今の私の課題です。

今日はブロッコリーを茹でて、ミニトマトを洗います。これもささやかな幸せです。

合併症との共存、それとささやかな、小さな幸せ探し、それしかない人の繰り言でした。

拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝、感謝ですm(__)m

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