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夫のこと

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私のがん闘病の翌年6月、以前から激務をこなしていた夫が職場で倒れました。

くも膜下出血でした。職場から電話をいただき、息子と母と3人でかけつけるも、すでに脳死状態。

頭痛を我慢に我慢して職務遂行した午後でした。

夫は消化器内科医。それなのに20年前はまだ新しかった腹腔鏡を使った施術を患者さんに施した後、器具洗いをしていた最中に突然倒れたそうです。

一緒にチームでやられていた女医さんも驚かれたことでしょう。

急遽、脳外科で手術を行っていただいたのですが、一度も意識が戻らずに8日後に永眠

私は涙も出ないほどのショック状態でした。

今考えれば、責任は夫自身にあることがわかります。

毎月100時間をゆうに超える残業に、その職場の産業医もやっていました。

また、内科医が腹腔鏡の施術を行うなど、現在はあり得ないことです。

外科医の領域です。そんな職場環境からは自ら去るべきだったのです。

私は「あなたは誰のために仕事しているの?上司の命令のため?息子と私のため?」と何度も問いましたが、夫は自分のプライドと責任のためにやっていたのだと思います。

自分の一番大事な命を犠牲にしてしまいました。

夫の働きぶりを見ていてくれた職場の方々が手際よく労災申請していてくれたのを知ったのは数か月後のことです。

当時の思いを書面に書いたのを覚えています。

しかし、4年後に届いた厚生労働省からの通告は「不認定」でした。

その理由の最初が「不眠不休ではなかった」でした。

これにはさすがに憤慨。不眠不休では人間誰だって死んでしまうじゃない?!!

一度だけ「不服申し立て」をしたくなりました。

そのために、色々な夫の仕事に関する資料集め、覚えている限りの出勤時間と帰宅時間の表を数か月に遡って作りました。

色々な方に陳述書も書いていただき、応援をいただきました。感謝でした。

素人だけでは無理と思ったので、労災専門の弁護士さんにも依頼しました。

そうしたら、1年弱で裁判などせずに、地元の審査会で不認定が覆り、「労災認定」されたのです!

夫が逝去してから約5年後でした。

これでダメでも、不服申し立ては一度と決めていました。なぜなら、そこまでの体力も気力もなかったから。

夫と夫の周りの方々が助けてくださったとしか思えません。運がよかったのです。

神様は、私からすべては奪われなかった

がんの5年生存もクリアしていない、仕事もできない身をお金の心配からは解放してくれたのです。

でも、労災の準備と息子の大学受験のための大学見学など、無理を重ねていたら、後遺症のリンパ浮腫発症!!

何かを得れば、何かを失う、まさしく人生全部は取れないことを痛感しました。

お金は人生において、健康と同じくらい最も重要なものです。

健康なくして自由なし!お金なくして自由なし!

健康はなくしても、お金は、贅沢をしなければ、仕事を無理してしなくても息子1人を大学にやり、私の老後もなんとかなるだろうと思える状態になりました。

冒頭のシクラメンは、夫を亡くした2001年の暮れクリスマスに買った小さなシクラメンが今も大きく育ち、毎年ちょっと遅い3、4月に必ず咲いてくれるものです。

私にとっては夫です。「あなた、今年も咲いてくれるでしょうか?」蕾はもうあります!楽しみです。

 

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