未亡人で病気持ちでもおひとりさまを楽しく生きる!

一足早い九州の春 妹・超気が強い 母・ソシオパス 実家の人間関係

散歩にでかけると、春がきている、花盛りの初め

東北では昨夜、地震があったようです。九州までは、何も影響はありませんでした。

東北、福島、宮城の方々、今後もお気をつけてくださいね。

ここ数日、汗ばむくらい暖かい日が続いています。

驚くことに、近所のマンションの枝垂桜が3部咲きといったところ。

散歩に行った公園の花壇も色々な花がもうすぐ咲きそう。赤いアネモネが一輪、美しかった。

大好きなクリスマスローズも帰りに見つけて、パチリ。

今年から、花粉症デビューしたのか、目が痒い。63歳にして、花粉症か??

3月は変化の季節 辛い思い出もあり 妹のこと

2000年2月半ばに、がんの闘病を終えて退院しました。昔話から始まります~。

そして、息子の私立中学入学のために、戸建てから街中の新築マンションに引っ越したのが翌3月下旬。

3月の気温は好きだけど、色々な変化があり過ぎる日本の3月、どうも苦手です

もう21年も前だけど、闘病中は実家の母に手伝いに来てもらってました。

その経験から、今まではわからなかった実母の性格や人となりがうっすらとわかり始めてきました。

両親健在の頃から、両親を尊敬できなかったから、あんな夫婦が嫌いだったから、結婚して自分の居場所を作るのは私の当座の目標でした。

2つ下の妹も気が強く、私は「お姉さん」「お姉ちゃん」と呼ばれたことはありません。ただの一回も

親がそういう長幼の序という躾をしなかったのでしょう。

私のいない、自分の友人や旦那さんには「お姉さん」と言っていたらしいことが後にわかりました。

妹と私は、父に顔が似て目は一重まぶた。どう化粧で化けても、美人とは言い難い。

その一重まぶたを、妹には重大なコンプレックスだったのでしょう、中学時代にペアピンで二重の癖をつけて、執念でしょうか、とうとう奥二重にしてしまいました!!

「鬼の一念、岩をも通す」 というべきでしょうか、それくらい何事も自分の思い通りにしたかった人。

今は61歳のおばさんになっていますが、結婚こそすれ、結婚後に「自分の遺伝子は遺したくない」との理由で子どもはいません。

子どもを欲しがっていた義弟(私と同じ歳)は結婚5年後に「子どもは諦めました」と実家に寄りあった時につぶやきました。

子どもを産まなくていいように、ずっとパートやアルバイトを続けていました。

その後は、宅地建物取引業主任者や、難関の社会保険労務士の資格まで取りました。

すべては、子どもを持ちたくないというモチベーションから、何か劣等感を埋めるように。

多分30歳半ば頃、一念発起して、(短大卒を悔しがり)私の行った地方の私立大学に編入しました。

地方の私立大学、それでも私より優りたかったのでしょうね、負けたくない一心だったようです。

そして、卒業後は法律事務所の経理として長く50歳代半ばまで勤めていました。

もう、自分の生きたいように生きて、旦那さんとは若い頃はずっと別居でした。今は同居みたい。

それでも、惚れた弱みがあったのでしょう。旦那さんから離婚ということはなく、うまく妹にコントロールされている感じがしました。

世の中にはこんな夫婦もいるのですよ。自分の好きな猫も飼ってるそうです。

あまりにも身近にいるもので、友人たちに言うと誰もが驚きます。「それ、ホント??」

本当なのです。でも、2人が合意の元であるので、別に外野がどうこう言う問題ではありません。

それくらい気が強くて、自分を貫き通す気概のある妹、普通のヤワな人間の私が太刀打ちできるはずありません。

私の闘病時は、それはそれは、一見甲斐甲斐しく支えてくれました。そこには感謝しています。

その後、私が死別し、母子家庭になってからは、妹夫婦の立場が強くなりました。

両親もそうでした。身内から、夫が亡くなったことで下にみられ、言われなくてもいい言葉を言われるようになりました。

夫がいてくれたら、絶対言われなかったこと。

息子の躾と称して、息子の食事時の箸の上げ下ろしから、食べる姿勢まで、ねちねちと。

一緒に食べる会食の美味しくないこと、私は自分が叩かれているようで、身が縮み、悔しくもありました。

身内ですらこうですから、母子家庭になってからの悲哀は、時折感じました。

しかし、身内のほうがより激しかった気がするのです。

生きるのに懸命で、私も妹や母に失礼を言ったり、働いたりしたこともあったとは思います。

それをおおらかには受け止めてはくれませんでした。私が甘かったのですね。

「親しき仲にも礼儀あり」を忘れていたのかもしれません。

いつ頃からか、妹が私の電話に出なくなってから、かなりの年月が経ちます。

旦那さんを通して会話をするといった時期もありました。

水仙とネモフィラなど

私がリンパ浮腫を発症して、合併症の「蜂窩織炎」を起こすようになると、息子の食事作りのために、実母に手伝いをお願いするようになりました。

母も優しい人ではなかった 夫だけが優しかった

母と密接に時間を共にするようになったのは、私が蜂窩織炎を起こし、高熱で動けない、まだ学生の息子の食事作りができなかったからでした。

闘病時から抱いていた母に対する不信感が、回を重ねるたびに募っていきました。

我が実家の法律は、妹が作ったといってもいいくらい。それに私は従ってきました。

まだ息子が小さかった頃、実家に帰省する時には、なにがしかのお金を持って行くこと。

お盆とお正月は、ただでは帰省できないのです。

夫のボーナスから数万円、自分の実家に持参しました。そこで妹夫婦とも会食でした。

だから、当然母に手伝いに来てもらったのだから、母が帰る時にも日数にもよりましたが、十万円以上をお礼に必ず渡していました。

今、それを叔母や友人に話すと驚かれます。

「実家に帰るのに、なんでお金を持っていかないといけないの?そんなことしたことないよ!」

「娘が困っている時は、母親なら助けてあげたいのが普通よ、お金なんか受け取らないよ!」

そうではなかったのです、すべてがお金で繋がっているような家族でした。

その中にいると、それが当たり前と思ってしまっていた、バカな自分の情けなさ。

優しかったのは、血の繋がった家族ではなく、他人だった夫でした。涙、涙、涙

父が亡くなった時、ちょうど私は息子の研修医1年目の救急科の3カ月、あまりのシフトの凄さにたじろぎ、息子の食事の手伝いに行ってました。

そこで、自分が先に体調不良になり、息子のアパートで、生協の家事手伝いをお願いすることになってしまいました。

父の葬儀にも、下痢が止まらなくて、出席できない、申し訳ない夏でした。

自分のキャパを超えたことをする自分が情けなく、父を見送れない辛さとで泣きました。

人の手伝いは、自分が元気じゃないとできないことを痛感しました。バカなんです。

何もできなかった私は、訳もわからないまま、相続放棄の手続きを弁護士さんにお願いしました。

それも、妹は気に入らなかった模様です。相続人が多いほうが、税金が少なくてすむから??

それから、母は骨粗しょう症で、股関節骨折で2回手術をしました。元気過ぎてよく動くのです。

実家は車で1時間のところにありました。

母は、父を亡くしてからしばらくして、私の近くに引っ越してきたいと電話で言いました。

私は、もう母の本性や性格がハッキリわかっていたので、手紙でやんわり断りました。

だって、後遺症のリンパ浮腫を抱えた私と母がいっぺんに入院などになったら、どうなるか?

夫のいない私なら、バカ正直だし、自分の上手いこと操れると思ったのでしょう。

私の生活の場を母に荒らされたくはなかったのです。何度もの来宅の経験からもうわかってました。

そうしているうちに、母が利き腕の右腕を骨折しました。

それを機に、妹夫婦が要支援1になった母を施設に入れました。2019年夏、コロナ前でした。

母も旦那さんのいる妹の命令には従います。だれもお世話してくれなくなったら困るからでしょう。

そして、実家の家・土地(賃貸の分まで)も売って、現金は母のものになりました。

お陰で、今、母のことでお金は全くかかっていません。認知症もないのはすごいことです。

具体的な母の意地悪さや口の悪さは、書ききれません。

父方の叔母と母方の叔母に聞いて、初めて実母の恥ずかしい一面を知るという悲しさ。情けなさ。

こんな人が母で、助けてもらわないといけなかった自分が、息子が可哀そうになりました。

母は自分大好き、それはいいんです。自画自賛の人でした、以前から。ナルシスト。

平気で嘘をつく。人に共感できない。ルールを無視するなど、ソシオパスに当てはまる項目いっぱい。

昔、美人だったこと、口が上手くコミュニケーションには自信があることが自慢でした。

だから、母と出かけると、その先で出会った人の美醜の話になります。

そんなことはどうでもいいことです。病院だったら、治療が一番です。

こんな母だと知らず こんな母も存在します

2004年3月、こんな母だとまだ知らない頃、うつ病でもうどうにもならなくなって、息子の中学の修学旅行時に母に来てもらいました。

買い物が好きで、食事は普通に作ってくれるのです。

しかし、うつ病の何たるかを全く理解しない母に連れられて、総合病院の精神科の門をくぐったのです。

母は、「さすが精神科は、外来も景色のいいところにやっぱりあるね」と言いました。

私の心配など微塵も感じられませんでした。

この時に気がつくべきだったのです。いくら身内、家族でも関わってはいけない人がいると。

母は、 ソシオパス か サイコパス かどちらかにあたると思います。

自分さえよければ、他人がどうなっても全然構わないのです。

自分のことを悪く言った人を貶めるようなことをズバズバ言います。

むしろ、人が不幸になると喜ぶ、そして、お金と自分を着飾る服をこよなく愛しています。

そりゃ、誰だってお金が嫌いな人はいません。

でも、〇〇〇の姉御みたいに、誰彼となく、関わった人からお金を巻き上げる人はいないでしょ。

あな恐ろしや~、これが自分の母です。御年89歳。

きっと介護付き老人ホームで、周りの人に迷惑をかけていないといいなと願うばかり。

暴言や悪口をきっと言っているだろうことは、想像できます。憎まれっ子世にはばかる、本当ですよ。

コロナ禍で会えないことは、こういう人間関係の親子には好都合でもあります。

家族が仲がいいところは意外に少ないかもしれませんが、優しい母親のいる方は幸せですね。

歳をとって、いろんなことが変化してからの家族関係、難しいというのが本音の方も多いのでは?

我が家の恥をさらしましたが、私が生きているうちに書いておきたかったこと。

玄関一歩入った家の中、皆さん一体どんなご家族でしょうか?お聞きしてみたいです。

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