未亡人で病気持ちでもおひとりさまを楽しく生きる!

メメント・モリ

親しくしていた前管理人さんが亡くなりました

ラテン語でメメント・モリを知ったのは、夫を亡くして以降。

死を忘れることなかれ」「死はいつもそばにある」というような意味だと知りました。

今朝は、ちょうど1年前の3月初旬に体調不良で退職されたTさんの告別式に行ってきました。

一昨日、Tさんは帰らぬ人となられていたと、昨日、ご主人様からLINEがあって知りました。

一瞬、TさんからのLINE!!と思い、「ああ、元気になってメールくれたんだ」と。

開けてみると、ご主人様の Tさんご逝去のことが。「生前はお世話になりありがとうございました」と。

桜散る4月初め、お天気もいい時期に。

すぐに電話をするも話し中。お忙しいはずですよね。

色々な方との通信が大変だろうとお察しして、LINEを入れていたらお返事が。

夜も遅かったのですが、告別式の場所が近くで、午前11時からとのこと。

夜にバタバタと喪服類の準備。お香典袋もありました。

ついに亡くなってしまったのかと、涙とともに、彼女との思い出が蘇ってきました。

夜は中々眠れなくて、眠りも浅いままでした。

告別式では、読経の後、お花を捧げて、ご主人様のご挨拶。涙も見せられず、ご立派でした。

その後、Tさんの棺にお花を捧げる時に、美しいお顔を拝見しました。涙があふれてしまいました。

やはり少しやせられてたお顔は、美人そのもののまま。もう話もLINEもできない。

「18年間も我がマンションの管理人を務めてくださり、ありがとうございました」とお別れの言葉をかけました。

昨年11月、抗がん剤治療の合間を縫って、コロナが収まっている時期に、我が家にお茶をしに来てくれたのです。

楽しい時間でしたよね!

その時の元気さはどうだったの?無理をされていたのか?まだあれから4か月ですよ!涙、涙

この無情感は、どうにもならない。

それが「死」というもの。

告別式後、Tさんの棺は荼毘に付されるべく、車に乗せられました。ご主人様も助手席に。

もう、お骨になってしまわれた時間です。

どう考えても、虚無感が襲います。

世界中では、今日も何人も死者が出ていることは知っています。

けど、やはり人間は自分との関りを中心に考えてしまいますね。

冒頭のシクラメンは2019年年末に、Tさんとお昼休みに近くのグリーンコープで一緒に買ったもの。

我が家のは写真のように、今年も咲いてくれています。これはTさんだね。

夫のシクラメンと似たような色。私にはシクラメンが怪しい花になりました、涙。

もうシクラメンは買っちゃいけないような気がするのは、私の偏った考えの悪い癖かしら。

お元気そのものの人ほど要注意!

そうなんです、お元気だったのです!!

Tさんは我がマンションの管理人として18年という長い間、お仕事していただきました。

52歳から70歳まで。真面目に、一生懸命、朝は30分前には到着して着替えや準備をされていました。

なにより毎年、管理会社の社員検診も真面目に受けておられました。異常なし。

私より8歳年上のTさんは、お子さん3人にも恵まれ、お孫さんも3人のお子さんにお1人づつと、絵に描いたような幸せなご家族。

もう少し長くお孫さんの成長を見ていたかっただろうなと思うのです。享年71歳。

Tさんが身体の不調を訴えられ始めたのは昨年1月、寒いころでした。

いつもがあまりにもお元気で、快食快便、朝は洗濯を干して出勤、帰りに買い物をして夕食作りをされていました。

私は、リンパ浮腫の合併症を起こすようになってから、よりTさんと仕事の合間に、いわゆる女性同士のおしゃべりをしていました。

お互いのことは、Tさんが一番知ってくれていたし、私もTさんのことは聞いているつもりでした。

一歩先行く「お姉さん」だったのです。

美人で、可愛くもあり、18年間まるでイメージが変わらなかったのです!

最初の不調は、背中が痛いということでした。

自分で「乳がんだ!」と思ったTさんは、乳がん検診専門クリニックへ。

でも、全く異常なし、女性ホルモンも70歳にしてはすごくいい値だったと報告がありました。

それでも、痛みが続いたようで、近所の整形外科に寄って帰ってありました。

「シップを貼っているのよ」と仰っていました。

でも、治らないので、休日おうちの近所の内科のクリニックへ。

そこで胸のレントゲンを撮ったら、肺に少し影が見えたのだそう。

それで、総合病院に紹介されて、検査入院

でも、マンション住人はすぐに仕事に戻ってくださると思っていた方大勢。

最後は、コロナもありで「送別会」もしないまま、突然退職とのこと。

「Tさん、どうしたの?」皆、不思議がりました。

その後、ご主人様から管理会社に「肺がん」で入院治療が必要で、これ以上の勤務は無理だと連絡があったそうです。

今日、ご主人様に伺ったのですが、この時すでに脊髄、延髄、脳に転移がみられたとのこと。

CTを撮ったら、肺がんはすぐに診断がついたらしいです。

レントゲンだけでは、見えない位置のがんがあるのでしょうね。。。

背中の痛みは、脊髄への転移だったのです。我慢強いTさんだったのですね。

咳や、肺の症状は全くなく、肺がんなど疑う余地もありませんでした。

Tさん本人には、Ⅳ期であることは知らせずにいたそうです。ご家族の意思で。

最初の1か月は、病院で背中への放射線治療。

その後は退院されて、飲む抗がん剤だけで、お元気にLINEでメールしたり、電話したりでした。

8月に入り、検査で肝臓にも転移が見つかったようで、入院しての抗がん剤治療が始まりました。

4種類くらいの抗がん剤を使われて、副作用も強かった模様でした。

肺腺がん」だったので、私も使ったパクリタキセルカルボプラチンも使われました。

これが、髪の毛が一気に抜けるのですよね。

それがすごく気になっていた、ものすごく女性らしさを失わないTさんでした。

「髪は女の命っていうからね」 私は「命があっての髪ですよ。髪は止めたら必ず生えるので、気にしないことです」とメールした記憶があります。

中でも分子標的薬の副作用が辛かったのでしょうか。

翌月からは薬を減らしての治療と聞きました。

そのせいか、お元気になられて、11月の我が家での再会が叶ったのです!

年初もLINEでご挨拶。2月初めには私が蜂窩織炎を起こした泣き言をLINEして、「お互いに寒いから風邪ひかないように」で安心していました。

入院されていなかったから。

今日お聞きしたら、2月半ばに不調になり、入院、抗がん剤治療だったそうです。

3月半ばには、もうこれ以上できることはないと、ご自宅へ退院されたそう。

その時はもう、電話で話せる状態ではなかったと。

一気に悪くなるのですね。抗がん剤、したほうがいいのかしないほうがいいのかわからなくなりますね。

コロナ禍で入院していたら、家族にも会えないから、多分主治医は退院させられたのでしょう。

あとは、訪問家庭医にお願いされていたのかもしれません。

最期は、ご家族に看取られてだったそうです。

18年間の思い出は、私の心の宝箱に

そういえば、あまりにもTさんが管理人としていらっしゃるのが当たり前すぎて、一緒に撮った写真が1枚もないのです、涙。

私が高熱の時には、仕事帰りに1品作っていただいたこと2回、平日出勤日はゴミ出しをお願いしたりと一番お世話になっています。

LVAの手術を考えていることを話した2016年には、1人暮らしの私を気遣って「洗濯物は私が取りに来て、洗って持って来るから」と。

「ちゃんと手術を受けて、元気な足を取り戻してきてくださいよ」と仰いました。

「じゃ、ちゃんと日当払います」「いいえ、交通費だけで結構です」なんて会話も。

結局、手術日近くなり、私が体調崩し、手術することはできませんでした。

でも、その1人暮らしの私を支えてくれるという優しすぎるお気持ちが嬉しくて忘れられません

だから、入院された時は何でもして差し上げたかったけど、コロナ禍でもあるし、ご家族がいらっしゃるので、黒ニンニクを送ることしかできませんでした。

その後は、ほとんどLINEばかり。この時期の入院は孤独との闘いだったと思います。

同じ部屋の方ともカーテンで仕切られていて、話もできない。

看護師さんも患者さんがマスクをつけたのを確かめてから、カーテンを開ける用心深さ。

家族もお1人しか看護師さんに会えず、洗濯物といるものの交換だけだったそうです。

孤独が嫌いで、ワイワイ楽しいのが好きだったTさんには、入院は耐え難いことだったでしょう。

よくお掃除の途中も立ち話をしました。Tさんは誰とでも話しやすい気さくな方でした。

ただ、コロナ禍になってからは、マンションは上下の階の騒音問題があります。

皆、コロナで在宅勤務になり、カリカリ、ピリピリで騒音問題が数件発生。

それを、皆さん、最初の窓口としてTさんに行くのです、話しやすいから。

結局、管理会社が中に入る形でしか収まらないのですが。

そういうことは、やはりTさんの心労になったと思います。

「定年はないから、身体が続くあと2~3年は続けるわ」と仰っていたのに。

本当は無理してあったのか、少し完璧主義みたいな感じはありました。

要するに、頑張り過ぎですね。もう少し早く引退されてもよかったのかもしれません。

私も、1人暮らしの楽しさを書きたいのですが、今日はTさんのことを誰かに話したくて書いてしまいました。

1年に1回の人間ドックが必要なのでしょうか?

婦人科の大学病院受診だけでも年に4回。それにこれからリンパドレナージにも通うつもり。

歯科あり、突発的な蜂窩織炎ありで病院とは縁が切れないのに。

もう、これ以上病院とは関りを持ちたくはないですね。寿命を待ちたいかもしれません。

Tさんとの思い出は胸にしまい、明日からは前向きに生きていきます!

Tさん、私はもう少しこちらで頑張るから、虹の橋の向こうから見ていてね。お願いします!

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