秋の彼岸の入りが夫の誕生日でもあります。
8月にはお盆、9月にはお彼岸と、死別があったら、続けて胸が痛む歳時記がやってきますね。
加えて、私はこの残暑が終わろうとする、まだ暑い時期、台風のこの季節が苦しく辛いのです。
子育て中の50代前半までは、気が紛れていましたが、1人になってからはよく思い出します。
10月半ば過ぎに「子宮頚がんの告知」を受ける前の検査結果待ちの長く思えた、「22年も前の時間を」。
いまだに、どうしても忘れられなくて、時間が癒してはくれていますが、消えない重さなんです。
がんサバイバーの方は、そういう苦い時間が必ずあったはずですよね。
秋のお彼岸に亡夫は歳をとります
亡くなった人の年齢は数えないと言いますが、私には無理です。どうしても数えてしまいます。私にとっては彼が若すぎたから。
「どうしようもないこと」への執着が強いのでしょう。頭ではわかっていても、仏さまを俗世に引き戻してしまうのです。
このお彼岸に、亡夫は65歳になりました。3カ月ほど私と同じ歳の期間があります。
そして、また彼がひとつ年上になりました。
今日は生協の片づけが終わって、夫の納骨堂にお墓参りに行ってきました。お彼岸のお菓子も生協で買ってます。
「暑さ寒さも彼岸まで」が通用しなくなった昨今、今年はあの台風のお陰か、かなり秋めいています。
また、必ずお昼は暑さがぶり返すと私は予想しています。ここ数年ずっとそうでしたから。
今日は暑かった、やはり。でも、8月の湿度がない分、風があるし涼しくなったのは短い秋が近いからね。
息子が就職するまでは、必ず2人でお参りに行ったものです。最近はずっと1人ですね。
今日は、夫に話しかけてきました。「あなた、生きてたら前期高齢者の歳ですよ。」そして、また
「息子が1年後くらいに東京で仕事することになったみたいよ。そしてね、私は内科的にはとても元気らしいのよ。不思議ね、こんなおばあちゃんの歳まで生きているよ~。」と。
いったい夫は、お仏壇にいるのやら、納骨堂にいるのやら、またこの歳で話しがしたいものです。
若白髪がかなりあったから、きっと禿げていない総白髪のおじいさんになっている姿を想像します。
夫の命日近くくらいに辛いこの時期 夫に与えた言葉の重さを後悔
今年はブログを書き始めたせいか、思い起こすことが多くなりました。
毎年辛いこの時期、私のがん罹患を思わせる不正出血が8月下旬と9月10日ほどにあり、婦人科受診していた頃なのです。
3回目の、夫と一緒の受診が10月初旬、身体も暑さの辛さと倦怠感でいっぱいでした。不正出血と微熱も続いていました。
中古の安普請の一軒家で、確かにあの年も台風に怯えました。すごい強風でした。
夜中に雨戸を閉め忘れた掃き出しのガラスが割れないか心配で、戸を押さえていて眠れなかった記憶があります。
マンションに移ってみると、戸建ての台風に対する脆弱さを今さらながら感じます。
そして、10月の体育の日あたりは、息子の小学生最後の運動会もありました。
日曜日の主催で、夫も何とか丸1日休みがとれた日でした。陽ざしと風があったのを覚えています。
朝からあまりにも身体が辛くて、お弁当を作れませんでした。小学校までは歩いて7分ほど。
「カレーを作っておくから、あなただけ一緒に行って見てきて。お昼は帰って来てもらってカレーでいい?」と夫に言わざるをえないほどでした。
夫は「お弁当くらい、どうして作ってやらないのか!」と私の非常識さを怒りました。
しかし、できないものはできなかったのです。「ごめんね、疲れてるのよ、お願い」と謝りました。
私の「子宮頚部腺がん」が夫の元に最初に連絡があった10月19日、きっと夫は私を叱ったことを後悔したに違いありません。いや、それどころではなかったかな。
実際は電話で夫は聞いて、その夜息子を2階の部屋に行かせて、私は夫から告知を受けました。
その後のことは、以前書いた通りです。11月1日には手術でしたから、夫の狼狽ぶりがわかります。
私はこれだけ身体が辛いのだから、がんと聞かされて、「ああ、初期ではないな、末期かな?」と思う余裕もありました。
辛さの正体がわかって、私はかえって冷静でした。夫に言ったのは、
「このまま手術しなかったらどうなる?」「末期がんになって死ぬだけだ、それはダメだ!」
「うん、わかった、手術は受ける。ただ息子の受験が心配」「君のお母さんに来てもらうようにお願いできないかな」
「頼んでみるね。もし、私が死んだらわずかな保険金は息子の教育費に充ててね。そして、あなたは再婚してね。でも、年齢的に新たな子どもは持たないほうがいいかもしれない」などと言ってしまいました。
夫は、私があまりにも冷静過ぎて、内心オロオロしたと、職場の看護師さんに話していたそうです。
夫が先に逝ってしまってから、のちに看護師さんが話してくださったことでした。
夫にいらぬプレッシャー、不安を与えたなぁと後悔しました。でも、精一杯の私の誠意だったのでした。
本当に夫をより奈落の底に落とし入れる「余計な言葉」だったと、夫が逝ってから悟りました。
がん患者も当然苦しいですが、家族は第二の患者と言いますから、できる限り余計なことは考えさせないよう淡々としていることが大事です。
あんなに深刻に語ったこの私が22年後の今も生きていて、先日は内科的にはいたって健康と言われたのですから笑えます。申し訳なさでいっぱいです。
夫はあちらの世から、「心配し過ぎて損したよ。君がそんなに生存能力が高かったとは考えてもみなかったよ」と言っているに違いありません。
「おばあさんになったけど、間違いなく私もそちらへ行くからね~、息子をもう少し見守らせてね。伴侶が見つかったら、いつでもそちらへ行くよぉ~!」本当の気持ちであります。
こんなことを書くと、息子がいつまでも結婚しないといけませんね。
「生かされている限りあなたの知らないシニア世代を楽しく生きるつもりです。シワシワ、ヨボヨボの姿で会っても、知らんぷりしないでくださいね~😊」
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