死別を経験した方の大半は、お盆(東京は7月お盆?)に檀家になったお寺のお坊さんがお見えになりませんか?
我が家のお寺の住職は、檀家の家をお盆の13日から15日にかけて供養の読経に周られます。
遠い檀家さんから、近くの檀家と順番があるようで、うちはわりに近いので15日でした。
「でした」と過去形にしたのは、この10年はもう来訪をお断りしたからです。
何故かって❓
それは、私が正座ができなくなったこともありますが、真夏の暑い盛りに・・・
葬儀から初盆までの一連の行事に忙殺され、記憶が飛んでいます
夫の家の宗派は曹洞宗でした。そんなに多くはありません。
有名なのは、NHKの「ゆく年くる年」の除夜の鐘を鳴らす「永平寺」が本山です。
うちのお寺はもうひとつの「持総寺」派だそうです、関係ないことですが。
そして、なんと悲しかったのは、葬儀社が提案のお寺の住職と夫が同じ歳だったことです。
こんな皮肉もあるんだなぁと、もう悲しみと絶望感のようなものが渦巻きました。
6月に亡くなって、その年の8月には初盆でした。
7月には、葬儀に参列できなかった方々に「お別れ会」まで開いていただきました。
その後に四十九日だったでしょうか。。。
今思い出しても、苦しくなるほどの、忙しさと暑さと悲しみを紛らすしかない一連の行動。
ただ、今ほどの暑さではなかったように思います。36℃を超えることはなかったような。
初盆には、玄関には家紋入りの提灯が葬儀社から届き、マンションなのに驚きました。
祭壇も6畳しかない和室に作っていただき、いろいろ飾ってもらったのを覚えています。
有り難いことにお花もたくさん届けていただきました。
13日~15日の間は、確かに親戚をはじめ、夫の職場の方々、私の友人など来てくださいました。
その前には、準備も大変でした。母が手伝いにそのだいぶ前から来ていました。
盆提灯を対に組み立てて置いて、灯りがともるようにコンセントに繋げる。
デパートの方とは、お礼の品選びをしました。もういいアイデアなんか浮かびません。
まだリンパ浮腫発症前でしたから、正座ができたのでなんとか施主を務めることができました。
そしてお盆の15日には、お坊さん(住職)の供養の読経。
ただただ悲しいだけなのに、なんでこんな一連の人々とのご挨拶が必要なのかわからないまま。
夫がいろんな方々と仕事をしていたんだという現実だったのですね。
一周忌はお寺の部屋を借りて行い、親戚と夫の職場の方と同級生数人が来てくださいました。
そして翌年の3回忌からは、親族10人ほどになり、ホッとしました。
主婦しかしてこなかった私が、人前で挨拶をしなければいけないことは大変なストレスでした。
7回忌、そして13回忌の頃には、夫の母が亡くなり、親族も減りました。穏やかになりました。凪。
息子も大学生になっていました。しかし、私はその頃には、すでにリンパ浮腫発症。
正座ができないので、椅子に座ってのご供養になりました。
毎年8月15日のお坊さんの読経をお断りして、もう10年
ちょうど13回忌が終わったころ、お寺に行って事情を話し、お盆の読経周りをお断りしました。
もう、そのころから、ゲリラ豪雨や気象の異常(真夏の高温)が現れていました。
ただでさえ暑さが苦手な上に、弾性ストッキング着用で膝が曲がらない、正座もできなくなりました。
そして、15日の3時ころ、大汗をかきかき来られるお坊さんも3分の読経になっていました!
お布施も「1万円」は毎年包んでいましたが、どう考えても3分はないだろう~~?!
お寺にとっては書き入れ時でしょうし、土日も葬儀で休みはないこともわかってはいても・・
何しろ暑い!、そこに袈裟を着た汗まみれのお坊さんが来ての読経、わけ分からなくないですか?
思い切って、足のことを理由にお断りできて、その後はお盆もホッとして迎えられるように。
言わなければ、ず~っといったいいつまで、私が死んでも来られるのでしょうね。
永代供養にしない限りは、私が死んだらまた来訪が始まるんだと思うと、もう別の供養を考えねば。
「生きる」こともままなりませんが、「死ぬ」のも大変、「死んでから」も遺された人は大変です。
そのお坊さんも8年ほど前に、大事な「喉」のがんになられたようですが、今はお元気です。
お寺にお参りに行った時にお見かけした時には、お互いの病気の具合をお話しすることも。
でも、声はちゃんと元に戻ってありますし、お元気そのものに復活されています。
お寺には今年亡くなられた方、一周忌から33回忌の方まで、毎年達筆で書き連ねられたものが貼られています。
毎年檀家さんが増えているのだから、私のように納骨堂の管理料だけで、お盆をお断りしてもいいですよね。
最初の頃だけやってたキュウリとナスに爪楊枝で動物を作ったり、迎え火、送り火を焚いたり。
もう今はやりません。キュウリとナスは布の置物に。マンションだからベランダでの火は止めました。
盆提灯もかさばるので断捨離して、今は父の作ったステンドグラスの小さなランプを灯します。
夫の生前から私たち家族には「お盆」に「お盆休み」はありませんでした。
少しずらして「夏休み」をとっていました。
今は、お盆には色々と考えさせられることが多いです。
時間が経って、暑いけど平穏なお盆が迎えられて、最近仏壇の夫に言うことは。
「こちらはコロナウイルスが一向に収まりません。そちらの居心地はどうなんですか?」
若くして死別すると、「普通に楽しかったこと」や「楽しかった行事」が苦痛になります。
だから、私は今も、お正月もGWもお盆もクリスマスも本当は全然好きではありません。
それ以外のごく普通の日々に平穏と楽しさを感じるようになりました。
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