未亡人で病気持ちでもおひとりさまを楽しく生きる!

K子叔母より手作り「梅干し」入り宝箱届きました\(^o^)/

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右の色鮮やかなのが紀州梅らしい

関西のK子叔母より、手作りの梅干しの他、色々詰まった「宝箱」が昨日届きました😊

実母からはしてもらえなかったことを、叔母からしてもらっている幸せ者です。

叔母は、そうやって色々な人たちに愛情を分け与える素晴らしい人。尊敬しています。

今年の梅干し、しっかり2袋も

亡き父の妹にあたるK子叔母とは2020年の新年からのお付き合い、ちょうどその後コロナ禍になりました。

だから、会えていないのです。アナログ写真を送り合ったり、電話や手紙、メールでのやりとり多数です。

しっかり会ったのは、1970年の万国博覧会という古さだから、驚きですよね😲

その間の空白を埋めるように、叔母は、40代でがんになり未亡人になった私を励ましてくれます。

なにしろお元気、バイク(スクーター)で10kmくらいの範囲は自分で動き、何でも手作りです。

緊急事態宣言の頃は、マスク作りに専念していて、私にも何枚も送ってもらいました。

その叔母が、今「変形性膝関節症」で整骨院に通っているそうです。でも、活動量は落ちない!

1か月にすると12万円と言っていたご主人の遺族年金だけで暮らしているそうです。

色々と詰め合わせなんです!
Googleレンズで調べたら 青トウガラシ

「自分のことを母親だと思ってくれていい」とまで言ってくれました。

実母とは、何もかも合わなくて、行こうとするとパニック障害の発作まで出るようになった私。

2019年晩夏に施設に入った母とは、もうずっと会わずにいる状態です。

叔母は捨てられない人で、家はモノでいっぱいらしいのですが、それは年齢的なもの、もったいない精神で何でもとっておくらしいです。

私が着なくなった服や部屋着など数着送りましたが、大事に着てくれているらしいです。

筆まめで、いつも荷物と一緒に、達筆な手紙も入っています。

膝が痛いのに、整骨院に、カーブスに通いながら、こんなことまでしてくれる優しさが嬉しくて涙がでます。

うちは「カーブス」まで歩いて2分なんですが(笑)、こんな浮腫のストッキングの足では行けません~。

コロナ禍がもし過ぎ去ったら、会いに来てくださるはず

5月にK子叔母の下の末妹A子叔母がなくなりました。享年82歳。

これで、父方の兄弟姉妹は、94歳の伯母、86歳の叔母(2人とも熊本在住)とK子叔母だけになりました。

私が連絡をとっているのはK子叔母だけです

A子叔母が亡くなった時も、「私は何もしなくていいでしょうか?」と聞いたら、「ずっと連絡もしてへんのやから、何もせんでええよ」と。

親交のあった施設の実母にも知らせたそうですが、よくわかっていなかったようで少し「認知症」がきたかもしれません。。。

妹が行ってくれて、香典だけ送ったようです。妹にも、もう今は感謝です。

私は夫を亡くしてから、親戚との関りが本当に薄くなってしまいました。

周りからも、腫れ物に触るように扱われたのだと思います。

母とも妹ともうまくいかなくなった私を励ましてくれるのは、K子叔母だけです

息子のことを話した時も、「親子はできるだけ近くにいたほうがいいけどねぇ」と言ってました。

今後、母や妹と私がどう関係をよくすることができるかは、自分でもわかりません。

嫌な思いをするのなら、実の親子、兄弟でも距離をとるべきと思う自分がいます

思うのは、実の親子や兄弟よりも、話しや感覚が合う遠い親戚もいるんだなぁということです。

青トウガラシの料理方法も知らない私は、「クラシル」で調べて、なんとか調理してみよう。

以前は「破竹」で初めての破竹料理をして美味しかったんでした。

K子叔母は、大病もしていない84歳ですから、きっと、いつか故郷の九州にまた来たいと足を鍛えているのだと思います。

私が行けないので、お元気で来ていただくしか、会う手段はないのです。

だから、スクーターで転んで骨折などしないでほしい、膝が早くよくなってほしい、もうそれだけです。

コロナが早く収まり、自由な行動が以前のように戻りますように。

当たり前だったことが、当たり前にできる平和が早く訪れますように祈る、日本中の祈りですね。

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