相変わらず、鼻水と目の痒さ、お腹の緩さと対峙しながら日々を過ごしています。
今日は施設に入所して3年半近くなる実母の誕生日です。90歳になれました。卒寿です。
色々あって会えていませんが、誕生日を覚えているのは母を意識している証拠です。
実母90歳の誕生日 状態はよくないので行きたいが、行けない…
今日が母の誕生日、90歳になったので、思い切って施設に電話してみました。
訪問の看護師さんが丁寧に説明してくださいました。
母は今、点滴の常時注入で生きているようです。
1月に電話した時は、流動食から固形食に代えられる状態になったと聞いて安心していました。
が、中々食事が摂れていない様子。水分も中々自力では摂れないみたいです。
コロナがきっかけで、ここまで衰弱するということは、やはり基礎体力が落ちていたからでしょう。
しゃべるのはしゃべるそうですが、つじつまが合っていないことが多く、時に合っていたりという具合。
点滴をしなくなったら、一気に衰弱してしまう状態のようです。
入所したての頃は、自慢話ばかりしていたようです、やはり。
しかし今は、スタッフの方にも「ありがとう」と言うようになったらしい母。「丸くなられました」と看護師さん。
今まで、普通に生活していた時もそういう普通の感覚で生きていたら、こんなにも母との確執を生むこともなかったでしょう。
今さら遅いよ~。
そんな状態の母であることも知ったのに、中々会いに行けない私はとことん薄情者でしょう。
今日は生協の配達もありました。片付けるだけでも一苦労。あちこちに不調が出ていますから。
明日は3カ月に1回の更年期外来の受診日。弾性ストッキングの指示書と薬ももらわないといけません。
元気な身体だったら、すでに会いに行っています。
色んなことが重なり、頭も身体もストレスに極端に弱い私は、ベッドに倒れ込んで横になりたいのです。
実母との確執 赦す気持ち 今になってやっと
「みちのくの 母のいのちを 一目みん 一目みんとぞ ただにいそげる」有名な斎藤茂吉の歌です。
母がもう危ないかもしれない状態にいることがわかっていても、茂吉さんのようにはならない私です。
冷たいです。会えなければ、もうそれはそれで仕方がないとも思えるのです。
そういう状況になったのは、私も悪いですが、母も悪いのです。
私が実母を避けたくなったのには、理由があります。↓長いので読みたくない方はパスしてください。
しかし、今はもうそんなことを言っている時間はないのかもしれません。
すでに「母はあんな人だったんだ。赦さないといけないな」と思っている自分もいます。
自分だって、未熟で、批判ばかりして、寛容にやりすごすことができなかった反省もあります。
ただ、母が生きている間に、こうやっている間に会いに行くべきかもしれません。
しかし、理性が働きます。「今、私は倒れられない!」
母のために、私は自分の身体を犠牲にしたくないという思いが強くあります。
息子が週末にスーツや他の足りないものを取りに、帰省します。
比べるものではないかもしれませんが、母より息子のほうが好きだし、大事なのです。
息子がもう1日休暇をとれるなら、一緒に母に会いに行きたいと思っています。
それができなくても、息子が東京に行く飛行機を見送ったら、行けると思います。
どうか、それまでは、それまでは、いや、もっと長く、「まだ生きてる」と言われるくらい長く生きていてほしい。
最後まで、こっちの都合を言ってるけど、お母さん、あなたの生命力を信じているからね!
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