未亡人で病気持ちでもおひとりさまを楽しく生きる!

昨日は母の初盆でした 母の遺産の話しも

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九州は8月がお盆ですが、妹夫婦の意向で、昨日、私の故郷の市のお寺で初盆の供養に行ってきました。

今回はこの暑い中、地下鉄と電車、タクシーを乗り継いで行けたことに亡父母が導いてくれたと思いました。それと「プロテイン」!

実家も仏壇もないから、お寺で初盆供養

前日から準備万端、母の遺影も袋の中に収めて、夏の喪服、数珠、交通系カード、扇子、汗拭きシートなど揃えておきました。

暑いことはわかっているので、当日の午前中に熱中対策水、プロテイン水、バナナ(タクシーの中で食べる)、ゴミ袋も準備してバッグへ。

2時からの法要なので、12時に家を出て電車のホームへ着くまでにすでに汗がストッキングの中にビッショリでした。

この電車に乗ることを考えただけで、母の生前は「パニック障害」の発作が起きそうになったのでした。

それが今や母が亡くなり、こんなに暑いにも関わらず今回こそは供養に行かねばと、気持ちが変わったから大丈夫に。

それと、4月の蜂窩織炎後飲み始めた「プロテイン」で、確実に動ける身体になっている感じがします。

ともかく午後1時半にお寺に到着。すでに妹夫婦だけで始めようかというちょうどその時でした。

「いやぁ、もう○○君(息子のこと)も来られないし、暑いから無理かと思ってました」と妹の旦那さん。

妹も「よく暑い中、来られたねぇ」と驚いた様子でした。

「四十九日も来られなくて申し訳なかったから、今回は何としても来たいと思って早めに着いたつもりが・・」と私。

妹夫婦は朝が早く、こちらに来てから初盆のお花とお供えの果物を買いに走り、レンタカーを借りて早めに着いたとのこと。

間に合ってよかった~、住職への挨拶もそこそこに、すぐに住職の供養の読経が始まり途中1人づつ母にお参りをしました。意外に早く初盆の供養は終わりました。

実家は「浄土真宗」で、初盆もアッサリと終える宗派みたいです。迎え火や送り火、精霊棚は必要ないようです。夫の実家の宗派「禅宗の曹洞宗」とは全然違います

それから、すごく煌びやかな立派すぎるキンキラキンのお仏壇のある部屋に移り、住職とのお話し。住職の奥さまのお茶が美味しくて、久しぶりにこんな美味しいお茶をいただいた気分。

その一尺の間口のキンキラキンのお仏壇がそこに入るまでの話しが面白くて聞き入ってました。

そして、最後は8年前父の納骨堂、初めて母も一緒に入った納骨堂へお参りしました。

念願の父へのお参りも済ませられ、私は気持ちがスーっとしました。

お寺の中はトイレ以外はすべてエアコン完備で、涼しく過ごせました。

それから、レンタカーに乗せてもらい、駅まで送ってもらって妹夫婦とは別れてまた電車と地下鉄で帰宅。すぐに、水分補給、ストッキングを脱ぎ捨て、シャワーを浴びました。

無事に行き帰りできたのは、ひとえに「プロテイン」の効果だとブログの藤川先生に報告したくなりました。

母の遺産 私の分は旦那さんへ いくらかも知らないけどそれも人生

いつかは必ず出るだろう、母の遺産の話しを帰りのレンタカーの中で、妹が口火を切りました

「お母さんの遺産が少し○○銀行にあるけど、今はまだ亡くなったことを知らせていないのよ。それで、どうする?」と聞かれました。銀行にまだ知らせていない?!頭の回転にビックリ!

どうするもこうするも、遺産の額も知らせてくれないままですが、私は父母の死に何の貢献もできていません。

私は言いました。「私は一応母の子どもだから、遺産をもらう権利はあるけど、資格がない

「それにお父さんの時は相続放棄までしたけど、今回は忘れてた。遺産分割協議書があれば、それに『妹100%』と書いて署名・捺印するよ」とも言いました。

すると妹はそこまでの必要はない、とにかく銀行に母の死を知らせた後、口座の凍結を解くためには、役所の書類が数種いることを言いました。

振り返ると、自分の病気から夫の死、それから父母の死に関して、妹夫婦のお世話にばかりなってきました。

特に、関係のない妹の旦那さんの私に代わる貢献は、感謝、感謝でしかありません。

私も65歳になり、夫の労災遺族年金がドーンと下がり、それは本心は遺産があれば欲しくない訳ではありません

しかし、病気ばかりで、何も関知しなかった私にはやはり遺産を要求する資格はないのです。

妹が、分かり次第「どんな書類が必要かをメールする」と言い、私もOKしました。

私の分の遺産は、実質貢献度マックスの妹の旦那さんへということで、お互いが了解しました。

子どものいない選択をした妹夫婦は、自分たちの老後のことも考えているだろうし、みすぼらしい暮らしは絶対にしたくない人たちです。

それは同じ親から生れてきて、幼少期からのお互いを知っているからわかっていることです。

教育費も使っていない、自分たちの好きなように生きてきて、そんなにお金に執着しなくてもと思いますが、老後も最高の施設なり住宅に住みたいし、楽しく生きたいのでしょう。

若い頃は「ロレックス」のペア時計をしていたような2人ですから、見栄やプライドに拘るいわゆる上流の暮らしが身について離れられないのです。

それが嫌というほど分かっているし、こちらは妹夫婦に散々お世話になってきていますから、当然でしょうね。私が遺産を主張したら、「なんという姉」となったでしょう。

私の息子には「母の施設の保証人になってくれていたから、いくらかを現金で渡す」そうです。

それで後のお墓継承問題も済ませようという考えかしらとちょっと疑いました。

そこまで考えていたなら、早く言いたかったでしょうねぇ。私が四十九日に出られなくて遅くなったのです。

「相続は争続」になることが多々あるそうですが、私はそれは避けたいのです。

でもせめて「母の遺産が実際はいくらだったのか」は、知る権利はあるとは思うのですが

が、「お金は与えて忘れる」ことにします

そのほうが妹夫婦とも今後つき合えるようになるかもしれません。息子にも元気な叔母夫婦は頼りでしょうし。

私は本当に親からも長女として妹よりよくしてもらいました。だから、情をもらってお金は妹に。

夫の遺してくれた「株を買えるお金が、年金を補う副収入」になってくれたらいいのですが・・😅

そこまでは上手くはいかないのが普通でしょう。小さく暮らせればもう十分

夫と結婚したから今があり、息子がいます。もうそれで充分、満足しないと罰が当たりますね。

拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m

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