家庭を築き、その途中での死別
年代で区切ってはいけないかもしれない。
しかし、まだ80歳代での死別だったら、ある程度の方は納得がいくものではないでしょうか。
それがまだ30、40代、子どもが成人もしていない学齢期に一家の大黒柱を失ったら、どうでしょうか?
愛する家族を失った悲嘆とともに、必ず経済的な問題が浮かび上がります。
そいういう時のために、日本には遺族年金というものが設定されています。
遺族年金には2種類。夫に扶養されていた場合に限ります。
〇 遺族基礎年金
〇 遺族厚生年金
基礎年金は、子のある妻が、末子が18歳になるまで支給される年金
厚生年金は、夫死亡後の翌月から支給される年金。子が18歳になって遺族基礎年金がなくなってから、40歳から65歳までの間は中高齢寡婦加算を含む額が支給されます。
65歳以降は基礎老齢年金及び遺族厚生年金が支給されます。
これは、あくまで、キチンと年金を納めていることが条件。そして、自ら申請が必要。
ここまでは、国と会社が保険金を納めていた国民には保証してくれる年金なのです。
それでも、うちは子どもが1人でしたが、お子さんが2人、3人と多い場合は、まだ先が長く、より不安感は募りますよね。
ただ、死別の場合は、家を買っていたら、家のローンは団体信用生命保険で支払われ、家は残ります。
住むところは確保されることに。家を買っていない場合は、家賃の安いところへの引っ越しや実家を頼ることにも。
そういう友人もいましたが、やはり子育てを終えて、実家近くに帰ってしまいました。
配偶者の死後に、住むところがあるか、ないかは重要なポイントです。
それでも残る子どもの学費と自分の老後の不安
自分が元気で仕事もしていた、できる体力も能力もある妻は、仕事をすることでやっていける方が大半です。
気丈に仕事を続ければ、気も紛れて、人によっては元気を取り戻す方もおられます。
私が夫を亡くした20年前は、亡夫の勤務先の会社が奥さんを雇ってくださるところもあったようです。
会社が大手だと、やはり有利なのですね。今はどうなっているのかはわかりません。
私のように、自分ががんになって大手術をした翌年に夫が亡くなるようなケースは珍しいでしょう。
当時の不安・悲嘆・絶望を思い出すと、いまだに崩れ落ちそうだった自分を、もう1人の今の自分が見ています。
実母の「これからどうしてやっていくの?」という言葉は今も耳に残っています。
実家にでも帰って来られたら困る、みたいな印象でした。頼れない!と思いました。
ましてや、私のように夫は専門職、自分は何の資格もない無職の妻、しかも病身、これはパニックです涙
息子がお腹にいることがわかった結婚3年目に、夫は定期付き終身生命保険に入ってくれていました。
私が専業主婦でいることを望んだ夫です。(いまや、そんな男性はほぼいないかもしれません)
それなりの額の保険金の納付、そのためには毎年の支払いも大変でした。
その保険金があっても、私は多分仕事ができない、ああ、どうしたらいいのだろう?!と焦りました。
まだ自分ががんの5年生存もクリアしていない、そんなに長生きはできないのなら、老後の不安はないのかなとも思ったり。
1人息子は当時12歳、中学入学して間もなくでした。この子の学費は保険金でなんとかなるだろう。
もう、その他は考えても無駄だけど、どうしても頭によぎるのは、この子の成人を見届けられるだろうかということ。
私の死後は、誰が息子をみてくれるだろうか、それだけでした。
夫も、多分最後に言いたかったことは、「息子を頼む」ではなかったかと。
当時は、現役だった夫の葬儀はある程度大きなものでした。少し回想になります。
突然のことだっただけに、喪服も夏物が用意できずに、ウールの黒いワンピース。
生えそろわない髪の毛の頭に、フォンテーヌのカツラをのせて、喪主を務めました。
涙すら出て来ない、もう不思議な感覚でした。ヨロヨロと倒れそうな状況でした。
お通夜では、夫の同級生が腹ごしらえにと袋いっぱいのおにぎりや食料を買って、持ってきてくださったことが印象的で。
「まずは食べないと」そう仰ってくれました。冷静さと思いやりに、今でも涙します。書いてて涙、涙。
そして、一周忌、三回忌、それが過ぎても、労災が認定される6年後までは、同級生4名くらい毎年、命日あたりにお参りにきてくださいました。
労災認定、仕事ができない私には、とてつもない朗報でした。できない仕事をしなくていい、身も心も軽くなりました。
でも、これは恵まれていた、運がよかっただけなのです。夫が職場で倒れたからです。夫が守ってくれたと思いました。
職場が労基署に労災申請してくれますか?全力ではありましたが、たった1回の不服申し立てで認定されますか?
労災専門の弁護士さんにもめぐり逢いました。これが大きかったでしょう。
何かに誘導されているかのようでした。しかし、落とし穴は「リンパ浮腫」。天はちゃんとみておられます。
その頃には、うつ病も克服し、不思議に少し太って動いていました。
なんだか、あの頃は「死ぬ気がしなかった」と言ってもいいくらい、死を忘れて、息子との毎日をただひたすら生きていました。
5年生存もクリア、腺がんの10年生存もクリアして、主治医から「来年から人間ドックを受けてください」と言われた2010年。
生命保険は必要か?
子どもがいたら、生命保険は必要です。子どもの人数も考えないといけません。
でも、私たち夫婦が入っていたような、定期付き終身生命保険は必要ありません。
昭和のころはやった、貯蓄と生命保険をくっつけたような、保険料の高い商品。
これに医療保険もつけていたので、夫の死亡とともに私の医療保険もなくなりました。
生命保険は生命保険。貯蓄は貯蓄と分けて考えないと、とんでもない額を支払うことになります。
医療保険も入っておきたい方は、生命保険とは一緒にはせずに、別で若いうちに入ると掛け金が安くなります。
夫が入っていた保険で保険金はおりたものの、私の医療保険がなくなり多少は不安でした。
が、私は保険という一種のお守りに一時的に守られたのです。
やはり、子どもがいる家庭は、死亡保険は必要です。万が一は起こるときは起こるのです。
夫の息子を思うがゆえの保険金、息子が高校時代に、教育費に惜しみなく使うことになりました。
おかげで大学は国立に。高校時代に教育費をかけられて、国立大学に入れたら、大学の学費は安く思えるほどでした。
ここでは普通と思われるご家庭のことを書いています。どこまでが普通か?は人によりますが。
以上のように、大黒柱を人生の半ばで失うと、どうなるかを私の経験も混ぜて書いてきました。
人はただ生きているだけで、お金がかかるものです。それに、色々とやらなければいけないことがあると、お金はかかり続けます。
そんなことも、夫が亡くなってから、「人は1日いくら必要か」を考えることになりました。
家の固定資産税、食費、交通費、教育費、諸々を考えて、眠れない日もありました。
それでも、「なんとかなる!」「なんとかする!」そう思っていると、何とかなるものです。
死別して直後の方、悲しみと経済的なことで辛い方、ご自分がお元気だったら、益々何とかなります!
こんな、がんサバイバーになれるともわからなかった私が生きていますもの。
漆黒の闇にどうか一点の希望を持ってください。生きてさえいれば、何とかなります!!
今の私からのエールを送りたいと思います。
コメント