1人しかいない未婚の息子が4月には東京へ行ってしまいます。
上手く事が運べば、3月下旬にはもうこちらにはいないことになります。
それが近づくにつれて、何か寂しさとともに、焦燥感というか彼がちゃんと上手くやれるか不安感が募ります。
気持ちだけで、身体がついていかない私は、気持ちだけがモヤモヤしてしまいます。
何か手伝ってやりたい、助けてやりたい、守ってやりたい、そればっかりで最近の日々が過ぎて行きます。
でも、冷静に考えると、下手に私が関わって彼にかえって迷惑をかけることになることを考えます。
息子が研修医になってすぐの頃、救急部のシフト表を見せられて、「なんだぁ、これは~~?!」となりました。
息子の頃はそうでもなかったようですが、その昔、昔は、「研修医」は労働者でもなかったのです。
そのシフトのタイトさと3カ月という長期間に驚いた私は、彼を助けるつもりで1Kの息子の部屋に食事作りに行きました。
夏の暑い7、8、9月という、私には最も苦手とする時期でした。
しかし、息子を守らねばという親の責任感で、キッチン用品を持ち込み、食糧宅配をお願いしました。
最初はまだよかったのです、が、ほんの2週間目にハプニングが!
やっちゃいました、自分の作った牛肉と野菜の炒め物に生のニンニクを使い、自分が腹痛でお腹を壊してしまったのです。
中々一度壊れた私の身体は回復が遅く、息子の1Kの近くの消化器科に通いましたが…
余計にお腹がどうにもならなくなり、自宅に1人で帰って炊事全般をする自信もなくなりました。
時は暑い盛り。もうどうしようもなくなって、家事代行を生協のヘルパーさんにお願いすることに。
私も息子の1Kに布団を敷いて、狭い狭い空間に息子と約3カ月同居生活をすることになったのでした。
息子には迷惑だったでしょう。あからさまには言いませんが、きっとそうでした。悪夢でした。
生協のヘルパーさんには、週に2回2カ月間、息子の狭いキッチンで料理を作っていただきました。
9月が終わり、息子の「救急部」も終わり、次の科へ移った時に、私はやっとこの自宅に帰れました。
が、そこから体調が本調子に戻らないままだったので、生協のヘルパーさんに私だけのために食事作りにきていただきました。
その1年後には、入院していますから、一度体調を崩すことの怖さは身をもって知っています。
それから、息子の研修医生活も終わり、私も入院生活後から、宅配お弁当の生活になっていました。
そこで、また懲りない私は息子の次の職場への転勤に向けて(同じ県内でしたが)引っ越しの日に手伝いに行きました。
そうしたら、マスクを2枚つけて引っ越しの手伝いをその日だけしただけなのに、酷い副鼻腔炎になりました。
抗生物質を数日飲みました。その時から、今も嗅覚は全くなくなりました。ごく近くのものはわかりますが。
そんな感じで、私が何かしてやりたいと思っても、脚をはじめ身体のあらゆる部分が言うことを聞きません。
気持ちははやるけど、身体がついていかないもどかしさを今もず~っと感じています。
特に足の炎症(蜂窩織炎)をよく起こすようになってからは、移動範囲が極端に狭くなりました。
5年前に今の職場に移る時は、もう一切手出しはせずに、息子が1人で全部やり遂げました。
もう、母親の手助けなどいらない年齢になっていたのです。
しかし、今度の引っ越しは田舎の県内ではなく、東京ですから、勝手が違うと思います。
健康な母親だったら、引っ越しまでも不用品処理や家事の手伝いに行けるでしょう。
健康な母親だったら、引っ越し当日も一緒に上京して、運び込みを見届ける、掃除をする、洗濯をする、買い物をするなどできるはずです。
それが、一切不可能に思えるこの悲しさ、無力さ。守ってやりたい気持ちは計り知れないほど大きいのですが。
友人も近くにはいない、父親もいない、いるのは病弱な母親だけの息子が可哀そうになります。
息子も私のこれまでのことをわかっていますから、全てを自分でするつもりです。
健康に自信を持ってシニアになられた方には、とてもわかっていただけないことです。
飛べないフクロウも、本来は飛びたいのです。
誰のためでもなく、せめて未婚の我が息子のお世話くらいはしたいのです。
が、余計な迷惑をかけないように、じっと耐えて、自分の身を律することだけしかできません。
息子よ、オカンは何もしてやれないけど、どうか上手くいくことだけを祈っているからね。
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