若い頃は、それなりに色々な友人と付き合える社交性はありました。
今はもっぱら1人を楽しむ人間になってしまいましたが。
こんな私の存在が、カップルを作って、その友人に今も感謝されているので~す。
色んなことがありますが、これはとても嬉しいことです。
友人に「恋愛結婚」をしてもらいたかった当時の私
まだ仕事をしながら、小原流のお花のお稽古に行っていた時にFちゃんと出会いました。←昭和だなぁ
私の実家の市にたまたまお父さんの仕事の都合とお兄さんの病気で東京から越して来たFちゃんとはもう40年来の友人です。
6歳年上ですが、お嬢さまとして育ったFちゃんはしっかりした体躯だけど、可愛らしい若さもありました。そして、明るく純粋な性格、そこに惚れました。
当時も痩せていた私とふっくらのFちゃんは、女性漫才師コンビの「今いくよ・くるよ」さんにちなんで、「私たち、九州の今いくよ・くるよよね~」と屈託なく笑っていました。
3人兄妹の末っ子のFちゃんは、お兄さんの精神的病でお見合いを繰り返すも30歳過ぎても結婚は決まりませんでした。
お兄さんの病気が「お見合い」ではどうしても当時はネックになっていたのです。辛いことです。
私はなんとかして6歳年上のFちゃんに「恋愛結婚」をしてほしいと考えました。
私は「お節介気質」を発揮して、当時の人脈を駆使してFちゃんのために東京で「合コン」を開こうと計画しました。
一緒に社交ダンスを習っていた男子大学院生2人(東京の外資系PC会社に就職)にFちゃんに釣り合う少し年上の上司を連れてきてくれないかとお願いしました。
社交ダンスは実は嫌いですぐ止めたので、彼ら男子大学院生2人とも九州では、凄く短い期間のご縁でした。
彼らが東京の会社に就職が決まり上京したので、Fちゃんにいいのではとお節介を思いついたのです。
Fちゃんは東京で大学を過ごして就職もお父さんと同じ会社に9年勤めていたので、お友達も多い東京がいいだろうと考えたのです。
九州からの女子は学生時代の同級生と私とFちゃんです。東京のFちゃんの同級生も2人参加。
合コンは女子5対男子5になりました。
が、東京育ちの彼女たちは、「カントリーボーイは嫌だ」と早々に帰ってしまいました。
そうしたら、なんとなんと、社交ダンスで一緒だった男子2人が連れて来た上司の彼F氏(夫と同じ歳)が、Fちゃんをいたく気にいり猛アタックの末、結婚に至りました!
Fちゃん33歳、旦那さん28歳という姉さん女房カップルです。
堅いお父さんには、当時は外資系PC会社ということで、すぐには了解はおりなかったそうですが。
その外資系PC会社でも敏腕エンジニアだった旦那さんは、66歳の今でもアメリカの会社に直接雇われていて、お給料もすごいらしいです。アメリカとのリモートワークらしいですが。
今は天国のFちゃんのお父さんも、喜んでおられると思います。時代は変わるのです。
旦那さんは2回ほど、腹部大動脈瘤乖離と軽い脳梗塞に見舞われましたが、不死身なのか?!今もお元気に復活されています。
純粋なお嬢さまだったFちゃんも古稀に いまだに感謝されます
Fちゃんにもうちの息子と同じ歳の息子ちゃんがいます。
私が病気で入院、その後夫が急逝した頃、Fちゃんもちょうど息子さんがいじめに合い、不登校で悩んでいたのでした。
その頃だけでしょうか、彼女と連絡を取れなくなったのは。
旦那さんのFさんが忙しかったり、アメリカ出張が多かったりと、子育てはほぼ1人でやったのです。
悩みも多かったのでしょう、ストレスから食べ過ぎて、糖尿病を発症してしまいました。
その後お母さんの介護も東京でやり、60代は大変でした。息子さんも相当介護に協力しています。
彼女も1人しかいない息子、今も息子さんは両親に溺愛されています。
息子さんが上手くいっていない時は、少し「これでよかったのか?」と考えたこともあったようです。
しかし、段々年月が経つにつれて、またコロナ禍で家族の結びつきも深まったようです。
今は息子さんも就職して、リモートワークで頑張っているそうです。
今も「アウルちゃんと会ってなかったら、今の私はない」と言ってくれます。
でも、席は設けてもお互いがその気にならなければ、結婚まではしなかったはず。
きっかけは私でも、あとは旦那さんの熱烈アタックにあります。
ちなみに、Fちゃんと私は同じ年に結婚して、同じ年に男の子1人を授かりました。
Fちゃんの旦那さんは、超優秀、英語もペラペラ、今はロードバイクを趣味としてあるそうです。
Fちゃんは、夫を亡くした私のことをいつも気にかけてくれます。
「アウルちゃんの苦しみはわかってあげられないけど、いつも寄り添っているからね」と。
お互いに歳をとり、Fちゃんは古稀のお祝いを家族3人でしてもらったとか。
夫がいた頃はお互いの家に行ったり来たりもしました。
うちも夫が今もいたら、家族同士のお付き合いができていたのにと、夫の、私の過酷な運命に涙します。
が、もう過ぎてしまったことはどうしようもありません。
Fちゃんは言います。「アウル夫君は最高の人だったじゃない。アウルちゃんは幸せよ」と。
もし、私の存在が誰かを幸せにしてあげたことがあるとすれば、Fちゃん夫妻くらいかなぁ。
そんな不思議なご縁もあるんですねぇ。「行動すれば、何かが起こる」かもね。
これからは、お互いの息子たちに「いいご縁」があることを祈るような気持ちです。
現代はもう「お節介」はできませんから、AIマッチングに期待するしかないでしょうかね😅
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