東京の未亡人友Aさんから「寒中お見舞い」メールがあった。
彼女は掲示板の友ではなく、私が新聞に投稿した時に新聞社に手紙を書いてくれたことからのご縁。
彼女の旦那さんとうちの夫の命日が2日違いという奇遇さもある。
私より少し年上だが、お子さんたち3人は当時、上の2人は小学生、下のお子さんは幼稚園だった。
最初は新聞社からご丁寧に彼女の手紙が同封されていた。驚いた。同じ未亡人に声が届いたんだと。
それから、彼女とは暫くは文通だった。
ガラケー時代はよくメールし合ったものだった。
そして、スマホになり、gmailになった。
彼女はお元気で、まだ仕事も掛け持ち、家事もお子さんたちのためにやっているタフな未亡人。
今日は、「家でダラダラしている」と珍しいことだったので、電話してみた。
一番に話したのは、能登の地震のこと。日本全国どこでもいつでも起こり得る、東京は特に怖いと。
避難生活のご苦労などを話していると、「生きていくって本当に大変なことよね」に行きつく。
私に体調はどうかと聞かれたので、去年秋から散々だったことを話すと、彼女も去年は色々あったそうだ。
神棚のお飾りのお餅を取るために、椅子に上がったら、身体がグラついて後ろに転び、頭を打ったという。
大きなコブができたらしく、痛かったそうだ。骨が折れなくてよかった、よかった。
1か月程そのままにしていたが、少し心配になり病院でCTを撮ったが異常はなしで安心したと。
また、エスカレーターのどこかで足のスネを怪我して、帰宅すると出血が酷い。
えぐれているようだったので、休日だったが、当番医のところで数針皮膚を縫うことになったらしい。
1か月程完治までにかかったということ。痛かっただろう。
しかし、彼女は3人のお子さんを帝王切開で産んでいる。痛さには極めて強い女性なのだ。
また、やはり膀胱炎を何回も繰り返し、血尿も出たと言っていた。
「去年は私にしては医療費が多くかかったわ」とも言った。
その割にはあまり大ごとに感じさせない彼女の話し方は、肝が据わっているのと、先祖が違うことを思った。
数年前に101歳で亡くなられたお母さまは、最期まで大病することなく、認知症も僅かだったという。
お母さまも早くに旦那さんに先立たれた未亡人だったらしい。
お母さまの遺伝子を受け継いだAさんは、動く身体で基本お元気を自認してもいる。
動く方は、転んだり、怪我をしたりと、私などとは全く違う病気で病院のお世話になる。
が、基本お元気で、治る病気ばかりなので、QOLはすこぶるいいと思う。
彼女はお母さまが長生きだったため、「QOLが悪いまま長生きはしたくない」といつも言う。
私のような身体に1日だけでも交換したなら、脱ぎ捨てたくなるだろうな。
お子さんたちはまだ結婚はしていないが、全然焦っていなかった。東京ならではだろうか。
明日からも仕事があるそうなので、長話は止めて要点だけを話して切り上げた。
最後は、「お互いに元気でいましょう」ということ。それしかないのだよね。
彼女は「怪我」「事故」に注意してほしい。私は持病の管理だ。
この1か月は週末料理を根を詰めてやっていない。
毎日、その日に夕食を作るようになった。1人鍋が多い。(写真撮り忘れ)
息子のために多めに「おかず」を作ることが負担になってきた。
今までできていたことが、少しづつできなくなる、これは明らかに老化だ。
出来ないことは、もう無理しないことにした。
そうは言っても、仕事もしていない、家事も最低限、料理も作ってやらなかったら・・トホホ
自分を生かすことだけしかできていない自分、食べて排泄という原始生物、ああ悲し。
もう少し長く普通に暮らせる時間が取り戻せたら、この上ない幸せを感じるだろうな。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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