東京から戻り、こちらでの仕事が始まってはや2週間で息子が帰省した。
積もる話しはあれど、私は3度の食事の支度に追われる。
息子はその間に、私が散らかしている書類や箱を片付けてくれた。
食べる時だけ話しができたが、この1年間離れていた感覚が、たちまちのうちに元に戻った。
まず、本当に激務の1年間を乗り切り、よく無事で帰ってきたことをしみじみかみしめた。
目の前に息子がいるのだ、以前のように。
以前の穏やかな、物静かな雰囲気は変わらなかったが、前髪に少し「白髪」が増えていた。
かなり神経をすり減らしたのだろう。
3月のとげとげしい電話の口調は、忙しくて、さすがの息子も母親にまで気が回らなかったようだ。
それでも、私は息子に言った。
「今まで教えたことはなかったかもしれないが、
これからは『ごめんなさい』と『ありがとう』をちゃんと言おう。
どんなに親しい間柄でもね。
将来あなたが結婚したら、奥さんにもちゃんとね」と。
身内ほど当たり前すぎて、ぞんざいになる謝罪や、感謝の言葉。
こういうことを幼少期から教えておくのは必要だったと思う今。
至らない私ができない片づけをやってくれる息子には「ありがとう」を言う。
が、息子は私の作る食事には感謝の言葉はない。
私も母親にそうだったように、当然だと甘えていたのだ。
まあ、親は無償の愛を与えてやれるものだから、感謝をもらう必要もないのかな。
また、前職場で同じ身分で地方から来ていた同僚の男性に
「なんでたった1年で帰るんですか?」と聞かれたと言う。
「父が早くに亡くなって、母親が1人でがんの後遺症で苦しんでいて。
脚の手術はもう時期の問題なんです」と言ったという。
そうしたら、その同僚さんも、
「自分の子どもが実は先天的に心臓に欠陥を持って産まれて、
何回も手術をしていて、大変なんだ」と打ち明けられたという。
お互いに「どこも何か大変なことを抱えているもんだね」と
1年での地方回帰を納得してもらったそうだ。
どこも大変なことはあるのだ、言わないだけで。
息子は、他県の腕のいいと私が聞いたLVAのできる医師のところに
連れて行く予定だったらしい。
だけど、診察、検査、入院・手術と3回も出向かないといけないため、
私は早々と諦めて、市内の大学病院で検査を始めたことを言った時には驚いていた。
私のことで、息子の婚期がまた大幅に遅れるようなことがあってはいけないと考える。
私は、息子に良い出会いがないようだから、
「結婚相談所」に登録してみるのはどうかと勧めてみたが、返事はいま一つ。
話しはまだあるが、私は食事の支度に追われてしまうのだ。
13日は午前から「トリモモ肉の酢生姜煮」を作った。
13日(土)の夕食
*マグロの刺身、キュウリ・オクラの和え物・ブロッコリースプラウト、大根の漬物、1人鍋(白菜、キャベツ、人参、シメジ、マイタケ・シイタケ、春菊、豆苗、水菜、ブリ切り身、鯛切り身、豆腐)、もち麦ご飯、杏仁豆腐・甘夏
これが、魚づくしで量が足りなかったようで、
翌日14日(日)は冒頭の写真の肉鍋にした。
*トマト・ブロスプ、アカモク、鯛の刺身、カブとパプリカの酢の物、牛のタタキ、1人鍋(白菜、キャベツ、人参、マイタケ、シイタケ、シメジ、春菊、豆苗、水菜、牛しゃぶ肉、豚しゃぶ肉、豆腐)、もち麦ご飯、リンゴ
これでもかの肉食。やっと息子は満足した。いかにいつもが食べていないかだ。
痩せの大食いだが、家で2日食べさせるだけではちっとも肥らない。
肉は、3月にモールに行った時に買っていたものを解凍した。
あのお店は、Uさんのお勧めで、美味しくて安かった。
息子が熱を出して帰って来た翌日に焼いた、宮崎牛A5ランクのランプ肉180gが1443円だった。
生協の肉はあまり美味しくなくて、ヒレなどは2倍の値段がする。買えない。
そして、そんな宮崎牛なんてカタログにないのだ。
たま~には食べたい。こんなにインフレで値上がりが激しくても。
元気で買い物に行けて、自分で調理をしたら美味しい素材は確実に美味しいのだ。
昨日は夕食が終わると、もう午後8時半を回っていたので、
それからは、息子は持ち帰るパソコン(デスクトップ)やらを急いで車に積んでいた。
私は冷凍品を保冷袋に詰め、常温品を紙袋に詰めて、1階まで降りた。
息子が居た時間はあっという間。会話があるのは楽しい。
ここに夫が居ればと、おバカなことをまた考えてしまった。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝したしますm(__)m
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