夫の喪中ハガキを出した22年前、葬儀社さんとのセットで、祭壇、仏壇、香典返し、初盆の設えなどと「喪中ハガキ」がパック料金でした。
最近の喪中ハガキみたいにカラフルではない、黒い文字だけの本当の悲しみのハガキでした。
余りの悲しみに、心が動転し、悲しみを上手く表せなくなっていて、淡々とすべてに取り組みました。
夫の喪中ハガキ、わざわざ出す必要もなかったのでした。頭が考えることを拒否していました。
だって、現役だった夫の死はほぼすべての年賀状のやり取りの方には伝わっていたのですから・・
友人の1人は、「辛かったでしょう、出さなくてもよかったのでは・・」と気遣ってくれました。
そうだ、何も葬儀社さんが印刷して持ってきてくれたから、出さないといけないことはなかった。
あの最大の悲しみから、それを超える悲しみに出会うことはなくなりました。
9年前に父が亡くなった時に出してから、今年は11月半ば過ぎに母親の喪中ハガキを出しました。
今年は今までに1枚しか受け取っていません。99歳のお母さんを亡くされたリンパ浮腫友Nさんからだけ。
いただく場合は、亡くなられた方の年齢がとても気になっていました。
数年前が私にとっては一番多くて5~6通いただいたこともありました。
両親の場合は、ほとんど90歳以上、中には「105歳の祖母」という方もありこの15年ほどは高齢化を感じていました。
私の父は82歳でしたが、男性では標準まで生きてくれたと感じます。
母は今年の4月に老衰で永眠しましたが、コロナでの面会や行動制限が大きく母の認知症に影響したと思われます。
ちょうどコロナ禍前の2019年春に施設に入ってから4年でしたから、そのうち丸3年はコロナ禍で可哀そうでした。
あの、おしゃべりで、おしゃれが好きで、嘘つきで、人の批判をすることが大好きだった母が、その機会を奪われたのです。
認知症が進んだのは、コロナ禍による影響が多大でした。
もし、コロナが流行ったりしなければ、もう少し長く生きていたと母の性分から思うのです。
コロナで影響を受けなかった方のほうが少ないですが、寿命まで縮まった部類に入ります。
実際コロナにも罹り、年末年始は生死を彷徨っていました。奇跡的に生還して、恍惚の人になりました。
それでも、ちょうど90歳をクリアして1か月後の春に老衰で、苦しむことなく旅立てたのだからよかったのでしょう。
夫が亡くなってから、息子を育てている間、母に頼っていたことで、母の本性がわかり、元々尊敬できない人が益々嫌いになったのでした。
「愛」がなく「お金」だけに執着していた母親、その姿が、距離が近くなって初めて感じられました。
「母って、こんな人だったんだ」という残念な感情が、むくむくと湧き上がり嫌いでした。
しかし、死なれてしまうと、もう母を嫌いだった感情も薄れてきます。
関西のK子叔母とも、母の嫌なところで話しが盛り上がっていましたが、K子叔母からの電話も減りました。
母がいた頃は「母親と思ってもらっていい」と言ってくれていたK子叔母ですが、最近は「母親の代わりにはなれない」と仰るようになっちゃいました。
K子叔母とは、母の悪口で繋がっていたのかと思うと、それも今は悲しくなりました。
嫌いだった母親でも、本性を知らなかった若い頃、息子のお世話をやってくれた姿は記憶に残っています。
夫さえいてくれたら、母親の本性を知るほど、深く関わらずに済んで、ずっとハッピーだったかも。
「たら、れば」はないけど、若い頃の記憶のままで、母親との繋がりを終えたかったのが正直な気持ち。
いなくなり、実際母親の「喪中ハガキ」の宛名を書く作業中はなんとも言えない気分でした。
自分の根源を作った母親の死をもって、言葉に表せない寂寥感が押し寄せてきます。
毎年考えて来た年賀状問題ですが、私たち世代までが細々と続ける以外は、いずれ無くなっていくのでしょう。
年賀状友達がいなくなれば、喪中ハガキを出す必要もなくなります。
全てをバッサリ切ることはできますか? 私は面倒だけど、まだ決心がつきません。
残すところ今年も1か月とちょっと、なんと1年の早いこと!
喪中ハガキに関して、母親のことを再び考えた「言葉にできない何か」を感じている自分がいます。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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