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父への詫び状 思い出のステンドグラス

私が所有している水仙のステンドグラスのランプカバー

今日はシトシトと降る雨の1日。今日は父のことを回想しています。

父は2014年九州のお盆の頃に亡くなった。享年82歳。胆嚢がんが見つかり、8か月後。

男性としては、まあ長生きだったともいえる年齢。年齢に悔いはない。

残念なのは、私が父のことを誤解していて、好きではなく、最後のお見舞いまではあまり言葉を交わすことがなかったこと。

存命の母が、いつ頃からか言っていた、父親の悪口を真に受けていたことも大きい。

多くの娘がそうであるように、中学に上がった頃から、なんとなく父の存在が嫌いになった。

これはごく普通の、あまりにも近い遺伝子を持つために拒否をする、動物独特のものだったような気もする。

顔も、髪の生え方も、身体というか自律神経が弱く、小心者のところがそっくり。

真面目、几帳面、手先が器用などいい面もあるのですが。

父は昭和一桁生まれ。早世した祖父の起こした工場を継いで、長男だった父は早くから一家の大黒柱になったらしい。

そこへ他県からお見合いで結婚した母との間に、私と2歳違いの妹が授かった。

男の子がほしかった父は、妹の時はガッカリして、病院へも来なかったとは母の口癖だった。

私は父に可愛がられたようだった。

しかし、2歳違いの姉妹を両親は「しつけ」をすることもなく、当時は「な~んにも考えないで育てた」というより、勝手に育つものと思っていたふしがある。

身勝手な姉妹に育ってしまったのは、両親の不徳の致すところでもあり、私たち姉妹の自己責任でもある。

先にも書いたように、中学生くらいから父を避けるようになり、結婚してからは一層父のことなど考えたこともなかった。

工場が斜陽になってから、それまでに買っていた土地を売り、アパート兼テナントビルを建てて、家賃収入で暮らし始めたのも嫌だった。

不労所得で生計を立てるなんて、不真面目な人間のすることだと決めつけていた。

だから私は真面目なサラリーマンと結婚したかったし、そうしたのです。

だから、父とまともに話をすることはほとんどなかった。

今思うに、自由な時間と不労所得を手に入れた「経営者」だったのだ。

私が2000年、がんの闘病に入った時も、母には手伝いに来てもらったが、父は1人で留守番だったことも、自分のことで精一杯で忘れ去っていた。

その頃には謡曲(観阿弥・世阿弥の能の謡)の先生として、お弟子さんたちに教えていたし、もうステンドグラスも作り始めていたかもしれない。

父の晩年は、とにかく謡曲を教え、ステンドグラス作りに心血を注いでいたと言ってもいいくらい多くの作品を作っていた。

実家に帰ると、私は「大きすぎて邪魔ねぇ」とか「狭い家にこんなに大きなもの作って~」など嫌味を言う、嫌な娘だった。

ステンドグラス作りは、手先の器用さと根気強さ、粘り強さが必要なことも、今はわかる!

父の作った作品は、模倣もすこしはあったが、作りの美しさは職人技だった。

その辺に売っている比較的値段の安いものを見ても、違いがハッキリわかるほど細部まで完璧に近かった。

母は私以上に、全く芸術を理解できない残念な人だった。

父の作品を一度も褒めたことがないと自ら言っていた。

そうだろう、父の作品は、私が持っている小さな2個と妹夫婦が買った大きなランプとパネル以外は、母が全部売って現金に換えたらしい。

よく買っていただいた方もいるものだ。

そこは母の口から生まれたような習性と顔が自慢の図々しさで、セールスしたのだろう。

まあ、作品作りにもお金はかかる。材料のガラスも高いらしい。そして、それを乗せる台座がまた高いそうだ。

それにある程度の大作になると1個に3カ月を要すると言っていた。

1日5000円の日当でも3カ月だと50万円近くになる。それに材料費を合わせると、う~む、なるほど高いわけだ。

上の写真は、私が夫の仏壇にお盆の提灯代わりにもらっていたもの。高さ40センチくらいの小ぶりなもの。

同じ1個なのだけど、見る方向(回すと色々な花)で季節の色々な花が違うように、ぐるっと作りこんでいる。小さな作品も妥協していない。
左にはユリとムクゲ、中央にはテッセンとシクラメン、右にはキキョウと蔦が見えるでしょう!

もう父が亡くなって7年半になるが、じわじわと父の作ったステンドグラスたちへの郷愁の思いが強まる。

母と2人の娘、口もきかなかった時期もあり、母からは父の嫌なところの洗脳。

家族で男1人、さぞ淋しかったと思う。今日の雨のように、父の淋しさを思うと涙が止まらない。

亡くなると人は美化されるというが、それとは違う、私は父を誤解していた。

父は本当は優しかった人なのだ。

今さらもう遅い、遅いが、「本当にごめんなさい」だ。

こんな不義理な娘を許してくれますか?

せめてもの父への詫び状、父の作品を見てやってください。

もうどれもひと様の手に渡り、家族には数点しか残っていません。

パネルも入れて100個以上は作ったのではないでしょうか。

もっと父と楽しい会話の時間を過ごせばよかった。

そして、父の代わりとして子どもとも思っていたステンドグラスの作品を所蔵しておけば、と思う日々です。


どれも比較的大きい力作です。ランプは高さ60~65センチはありました。見ていただいて、有り難うございました。

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