未亡人で病気持ちでもおひとりさまを楽しく生きる!

「玄冬の門」 五木寛之

犀の角のごとく独り歩め

玄冬」とは人生を季節にたとえた言葉で、最後の冬を意味する言葉。

だいたい、60歳代後半からという説と、75歳以上という説があるようです。

青春・朱夏・白秋と過ごしてきて、迎える人生の最終番期。つまり老後ということ。

五木氏は、最初から最後まで一貫して高齢者は孤立、自立すべき」と述べられています。

 

むやみやたらと、若い人たちとの間に連体を求めない

玄冬の門をくぐったら、孤独者として生きていく覚悟を決める。

家族からすらも孤立しなければという意識を持つ。甘えはダメ

できることをする、食事の面倒くらい自分でみる。楽しみをみいだす

 

独りで生き、独りで去っていくことの幸せを自分で自分につくる

家庭内でも、「子孫に美田を残さず」の姿勢。「君子の交わり、淡きこと水の如し」でいく。

そして、再学問の勧めがあります。

認知症の徘徊ではなく、自主的に徘徊する笑 妄想に遊ぶ

これまで、家畜のように暮らしていたのが、野に放たれるように遊ぶ

そして、極めつけは、「孤独死のすすめ

 

孤独のレッスンをする。 音楽、活字、映像など、人間の文化の宝庫の中に積極的に入っていく。

他人に迷惑をかけずにできることは山ほどある。世間とは没交渉。

この世から消え去っていくのだという決意

自ら身を引いていくというつもりで。

 

また、五木氏は、「医療・医薬」からの独立と言っておられます。

が、趣味としての「養生」は大事。

日常的に体と会話をすることを楽しみとする。些事を大事に

彼が(多分90歳近いと思います)大病をしなかったのは、体と向き合って友達のように扱ってきたからとも。

人間はもう生まれながらに病気、死のキャリア

そう思って、自分の体を労わり、やっていく。

玄冬の門をくぐれば、医療に関わりたくない

明朗に生きることは大事だけど、自分の人生もどこかで終わりが来る覚悟が必要。

 

過去の良い思い出を回想する

五木氏の養生訓

〇 寝る時に空想する、良いことしか考えない

〇 先のことを考えない「今日一日」

 

そして、現世の友だけではなく精神上の友達を作るともある。彼には「宗教」の方々でしょう。

最後は、人間歳をとれば、誰だって、目やにや、歯がガタガタになったりして汚くなる

だから、せめて身綺麗にしておきたいということ。

身に沁みる言葉が多かったです

私の感想としては、宗教の話以外は、もう自分のことのように身に沁みました。

40代での大病と後遺症のある身なので、10歳は多めに歳を換算しています。

私はもう玄冬の門をくぐっています。

特に良かったのは、再学問のすすめと五木氏の養生訓でした。

五木氏は私の父親世代。

しかしながら、本を読みながら彼は百歳長寿者になられると確信しました。

楽天的で、妄想好き、サラリーマンをなさっていないなど、長生き要素いっぱい

これからは、どんな本を書いていかれるでしょうか?

とにかく、孤独を楽しめという言葉は、私も実践しているだけに、うなづけました。

群れないという思想も好きです。

それでも、最低限の、迷惑をかけない絆は、凡人にはいるのだろうと思いました。

先日書いたK子叔母は、真逆の楽しい人生を謳歌中

そういう方もいて当然。無理に孤独になることはないでしょう。

私は息子に頼ってばかりなのを、少し顧みる気持ちになりました。

孤独死もこれからは、多くなっていくのは必然かなと思いました。

私も、なるべく迷惑をかけないようにヒッソリと死んでいけたらと願うばかりです。

好き好んで孤独を愛する者と健康な高齢者には、とてもいい本です。

最後の、歳をとると、誰でも汚くなるから、身綺麗にというところは耳が痛かった~。

最近はコロナ禍で、化粧もせず、洋服もいい加減なので、汚い老人の部類かも 😥 

1人暮らしのシニアに向けた、やさしい言葉で書いてある五木節の本、お勧めです。

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