昨日は結婚記念日、丸37年だったから、夫がいれば38年目が始まったことになります。
結婚当時、38年後の今を想像することは不可能でした。
お互いに普通のおじいさん、おばあさんになると信じて何の疑いも持ちえませんでした。
こんなふうな老後を送るとは想像していなかったけど、今思うと「よくある話し」でもあります。
結婚した方は、幸せですか?
夫と出会えて、短かったけど幸せだった
人は一体一生の間に、どれくらいの人とで出会えるのでしょうか? オンでもオフでも、最近はね。
ある程度限られた中、人は出会った他人の中からパートナーを選びます。その時は「これが運命の人」と思うか思わないかは別として。
結婚するって、ある頃からは「勢い」が必要だなって思うようになりました。
ある人は「気の迷い」とか「頭がおかしくならないとできない」とか言いますよね。
あんまり理性的になってしまうと、結婚とか一緒に暮らすとか、できないでしょうね。
私は夫との結婚は、結局死別で終わってしまいましたが、結婚生活は幸せでした。
なんと言っても、男性という大きな価値観の違う異性と出会えたこと、一緒に暮らせたことです。
自分だけでは考えられなかったことを見たり、聞いたりすることができる「発見」の旅でもありました。
そして幸いなことに子どもを授かりました。これは私の人生を一変させました。
お互いに「父親」「母親」にさせてもらい、息子を育て、息子に育てられた感じがします。
こんな私をパートナーに選んでくれてありがとう、息子にはここに来てくれてありがとう、です!
一緒に行けた旅行、一緒に出かけた外食、一緒に歩いた公園や山々、懐かしすぎます。
パソコンが大好きだった夫の影響で息子もオタクになり、私も多大な影響を受けてブログも書いてます。
夫は山登りも好きでした。夫がいなくなってからは、息子と2人では山に登ったことはありません。
園芸にハマった私を、温かく微笑みながらみてくれていました。花の写真もいっぱい撮ってくれて。
もっと美味しいご飯を作ってやれなかったことは本当に残念。
息子をこよなく愛した夫は「○○、行くぞ!」と言って、家電店やホームセンターに連れて行く姿は微笑ましかったものです。
残念ながらスポーツは得意ではなかったせいか、息子とはせいぜいバドミントンでした。キャッチボールはやってませんね。
できればもう少し、欲はいわないから「あと5年」生きてほしかった。
せめて息子が高校生になるまでね。それでも短すぎます。
今もいてくれたらと思わない日はないけれど、一緒に生きた日々は幸せな日が圧倒的に多かったです。
思い出す夫の言葉 1人でもしぶとく生きている今懐かしすぎます
夫を失ってから丸21年半ほど、息子が家を出てから9年以上、私はか細いながら「しぶとく」生きています🤣
夫との「思い出」を胸に、だけど時々細かいことは忘れることも増えましたよ。
だって、たったの15年半くらいでしたから、一緒に暮らせたのは。短すぎます。
そんな中でも、夫の言ったどうしても忘れられない言葉もあります。
「君には専業主婦でいてもらいたい。僕は家事の分担はできないから」「僕の給料の半分は君のものだから、自分名義の通帳を作って預金しなさい」とか。
戸建てに住んでいた頃、庭を鉢でいっぱにした時も、「その家にはその家の特徴があっていい」と寛大な言葉でした。
息子を眺める目は本当に優しかったなぁ。「子どもはゆっくり大人になればいい」なんて言って。
私がキリキリ、イライラして息子を叱っていると、「怖がってるじゃないか、いい加減にやめなさい」と。
なかなかできないことを私が家事の道具を使ってひょいとやってのけると「君はただ道具を持ってるだけじゃないか」と言われたり。
アメリカにいた最初の頃、英語が聞き取れなくて2人で顔を見合わせて、「今、なんて言った?」
お互い「いやぁ~、わからなかった」と、もう1回ゆっくりしゃべってもらったり、苦労しました。
その時はさすがに夫も「君の英文科は全然役に立たないねぇ~」とズバリと言ったっけ、仕方ない本当だから🤣
ああ、考えていたら思い出します。たった15年8カ月は短すぎました。。。
結婚10年の年には、ちょうど息子が小学1年生。夫の短い夏休みに合わせて、弾丸の東京旅行に行きました。
秋葉原にも行ったような。私はお目当てがあったんです。帝国ホテルに恐る恐る入って、当時あった地下の宝石店へ。
夫はそんなものに興味はなく、了承だけもらって、結婚10年のスウィートテンダイヤモンドを自分で選びました。
実際買ったのは、上の写真のもの。10個のダイヤモンドではなく、パヴェダイヤモンドのリングでした😊
宝石は結婚指輪、婚約指輪とこれ以外は買ったことがありません。もっと夫が長生きしてくれていたら、買ってもらっていたでしょうけど。
流行には乗ってしまっていましたね、この頃も。今、指輪はつけることもありません。
時計も1つだけお願いして買ってもらったカルティエの一番安いステンレス製のものを2015年の入院騒動で失くして以来、まともな時計はありません。
今は安いスマートウォッチでこと足りますからね。
夫にはこのIT技術が進んだ今を是非見てもらいたかったです。あれほど好きだったパソコン、アップル社(マックと言われていた)の今を。
職場のPHSをベルトにつけた、ガラケーを欲しがっていたけど間に合わなかった夫が可哀そうで・・涙
私は今日も秋の好天の下、散歩を楽しみ、しぶとく生きています。生かされているだけなのですが。
認知症にはなりたくないのは、夫のことを忘れ去りたくないからです。息子にも迷惑をかけますからね。
でも、いつまで生きるかは決められないから、ボケない努力は惜しまないようにしないとです。
生まれることも、死ぬことも、自分では選べない。自分で選べるのは、生きている間にパートナー、伴侶だけですから。
いい人に巡り合えて、短かったけど、私は幸せでした。今もささやかな幸せを探して生きています。
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