当然子どもを産んだら、女性は母親になる。
人間としては何にも代えがたい歓喜の出来事なのだ。
生物としては子孫を残す使命を果たすのだから、喜びに包まれるほうが圧倒的に多い。
そして、紆余曲折があり、何とか子たちも成人し、早ければ親になることもできる年齢になる。
子どもを育てる期間は、苦労もあり大変さもあるが、実はとても短く貴重な時間なのだ。
シニアになってからは特にそう感じる。
そして、生物は必ず老いる。
今までできていたことが次第にできなくなる。
認知症も要介護5になれば、ほとんどのことができなくなるのだ。
それは母親(女性)だけではない。が、特に昨今の日本人の母親の高齢化はすさまじいものがある。
今年の喪中ハガキは5通もらったが、うちの母享年90歳が一番若かったのには驚いた。
「父」の方たちも97歳と92歳、「母」の方たちは99歳、92歳、91歳とすべて90歳以上。
先日、関東の同級生とLINEをした時に「老いた母親」へのストレスを強く感じた。
九州から呼び寄せたお母さんが94~5歳になられ、サ高住に住まわせて、通院だけお世話をしているらしい。
が、認知症が少し進み始めたようで、同じことを何度も聞く、病院に行く時間を間違える、九州弁でしゃべるのが恥ずかしいとあった。
彼女はお母さんの「無教養ぶり無神経さ鈍感さは我慢できない」ともあった。
「なぜ母のことでこれほど心の平安が乱されるのか」とも。
私も距離を縮めていたら、きっと同じことを感じただろう。
姉妹の躾もせず、適当な風見鶏の生き方、嘘つき、異常に美醜に拘る、全く尊敬に値しなかった母。
我が家は、子の私のほうが後遺症に悩まされ、母親をケアすることもできなかった。
妹は元気にも関わらず、母のお世話を甲斐甲斐しくするような人間ではなかった。
そういう風にしか、私たち姉妹は育てられなかった。
だから仕方がなかった。母は「姥捨て山」に捨てられたも同然だった。
だって、私たち姉妹は母親からの無償の愛情を感じたことがなかったからだ。
同級生に「今のお母さんのお元気さが、あなたの健康を作ってくれていると思ってもダメですか?」と聞いた。
それには回答はなかった。それは彼女にとっては当たり前のことなのかな。
彼女のお母さんは、うちよりごく普通のお母さんだった記憶しかない。
小学生時には健康優良児だった彼女は、今も大病することなく元気なのだ。
それでも、老いてきて認知症の入り口にいるお母さんが彼女をイライラさせていることはわかる。
別の学生時代の友人も、認知症になりかけたお姑さんを10数年以上前から自宅で見ていた。
同居のお姑さんだけあって、更にストレスフルだった。
「同じ空気を吸いたくない!」とまで言っていた。
そのお姑さんも今年亡くなられたと、喪中ハガキが来てわかり、友人の肩の荷が降りたことを知った。
私の耳に入ったのはごく少ない例だ。
世の中には今、自分の母親、お姑さんを介護している、あるいは施設でのサポートをしている方たちが大勢いるのだ。
そうやって、認知症の介護の果てに亡くなられたら、今度は子がいる母親であれば自分の順番になるのだ。
まったくの自分ごとになってきたことを、母が亡くなった今年はヒシヒシと感じる。
皆が皆、介護付き高級マンションに入居できるはずがない。
身体が先に機能不全になれば、まだ寿命も短くて済むかもしれない。
しかし、身体は丈夫だけど、認知症を発症してしまったら、先は長いと覚悟が子にはいるかもしれない。
「長生きリスク」が言われ始めてからかなりの時間が経った。
お金の問題だけではなく、介護にあたる子ども世代の精神的なストレスは計り知れない。
自分も母親の1人として、考えてしまう重大問題だ。
まだ頭が認知症を発症する前に、身体が衰えてしまったほうが子どもには楽ではないかと思う。
母親になり、ならせてもらって有り難かった。
しかし、自分ごととして認知症を発症する前に、身体の病気でポックリ逝けるのが最良なのだ。
そう思ったようにはいかないのが人生の常ではあるのだけど。
そんなことすら考えないといけない歳になったことを感じてしまうほど年月が過ぎた。
また、私も楽しい時間を過ごせたら、一時的には考えずに済むのかもしれない。
けれど、親になったからには今後必ず直面していく、重く大きな課題なのだよね。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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