もうあと2日で息子がこちらへ戻る。
今日は息子の車のエンジンをかけて、しばらくアイドリングをした。外は小雨。
駐車場から上がってきたとたん、息子から電話があった。
「提出する書類に本籍地の記載がいるんだけど、どこだったかな?」と息子。
「○○○だよ。宮崎のお母さんにいつも迷惑をかけていたから移したんだよ。
そうそう、今、車のエンジンをかけたら、バッテリーはあがってなかったよ」と私。
「車は大丈夫そうだね。経過はいいから、本籍地の確認だけ」と、まったく用事だけの電話。
本当に自分の用事がある時にしか電話をかけてこないし、忙しいからとただ用事だけ。
車のバッテリーがあがらないように、あれから小まめにエンジンをかけているのに。
そのことに対する感謝の言葉も何もない。
あんな子だったかしら?!? 引っ越し前で忙しいからか?
自分の都合のいい時だけ電話連絡してきて、一方的に用事だけ伝える。
何かに感謝するといった様子はまったくみられない。
それは、息子が社会に出てから自分で獲得した体験から形作られた「性格」かと考えた。
だが、「はて?」
母親である私が、社会に出るまでの間、息子にはかなりの時間影響を与え続けたことは否めない。
息子12歳で、母1人子1人になり、頼れるのは母親の私しかいなかったはず。
私も、「この子をなんとか1人前にしないと」という責任感だけで突っ走ってしまった。
がんの再発も恐れてはいたが、それどころではなかった。
そのころは、息子の中学生活、高校生活を順調に送らせたくて、他のことは頭から飛んでいた。
これで、息子が学校に行かなくなってしまったりしたら、もうお手上げ、それだけは避けたかった。
息子の目からは、この母親はどういうふうに映っていたのだろうか?
いまだに聞いたことはないが、こちらに帰ってきて落ち着いたら聞いてみよう。
ふと「ブーメランの法則」というのがあったことを思い出した。
そうだった、「自分が相手にしたことは、いいこともそうでないことも、ブーメランのように自分に返ってくるという意味」だった。
息子という人物は、私の鏡のような存在ともいえるわけなのだ。
私の育てた息子という存在は、12歳から1人で育てて、35歳の今「頑固オジサン」っぽくなった。
私の接し方、モノの言い方、考え方もいっぱい彼は吸収しているはず。
もちろん、友人や同僚とからの影響も大いにあることはわかる。
が、大学生まで家から通った息子は、部活(卓球部)もそこそこに寄り道もせず家に帰って来た。
1人親の私は、当時はそれが嬉しかったし、話し相手にもなり重宝だったのだ。
私の影響をモロに受けている可能性は非常に大きい。
私が息子に投げかけた言葉や、行動がブーメランのように、今の息子になって私の元に帰って来たのかな。
私も「頑固」だっただろうか。自分ではわからない。
あんなにひとつのモノに執着する気質を植え付けただろうか。
感謝の言葉を言わない大人になるように仕向けただろうか。
「祖父母に育てられた子は三文安い」と言う諺は前から知っていたが、
(祖父母に甘やかされて育った子は、ほかの子よ りも人間的な値打ちが低いという意味で、「根気がなく、 すぐ他人を頼る子になる)by Google
「母親だけに育てられた子」も三文安くなるんだろうか?!
なんか悲しくないか。
両親揃っていても、「根気がなく、他人を頼る子」になったりはするだろう。
この1年、息子と距離も離れて、息子は神経をすり減らす仕事をし、私は半分近く感染症に苦しんだ。
その間、距離と同じように気持ちも離れて行ったのだろうか。
言い訳がましくなるけど、私は息子をそんな独善的な人間に育てた覚えはないのだ。
かと言って、「人さまのために生きる」精神を植え付けることもやってはいない。
ただただ、一生懸命目の前のことに取り組み、日々をこなしてきただけだった。
そうか、息子は「コミュニケーション障害」なのだった。
もっと基本的な「躾」をキチンとすべきだった。
「挨拶をする」「人を思いやる」「感謝する気持ちを持つ」そんな基本的なこと、大事だ。
35歳から、息子は自ら習得していけるだろうか、是非習得してもらわねばならない。
拙い日記をお読みいただき有り難うございます。感謝いたしますm(__)m
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